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2007年8月30日 (木)

対話のレッスン

「対話のレッスン」平田オリザ著(小学館)

この本は、小学館の広報誌「本の窓」への連載(1997~2001)をまとめたものです。つまりほぼ10年前の文章。しかし、全く古くありませんし、ここで指摘されていることは、現在でも当てはまることばかりです。
私は、本書をATOK監修委員の先生にご紹介いただきました。私が常日頃テーマにしている「伝えるということ」に対して、非常に多くの示唆を与えてくれる本です。もう何度も読み直しました。

最初に「対話」というのに引っかかりますよね。日常あまり使わない言葉です。ただ本書では、この言葉の定義がとても重要なので、ここに引用しておきます。

  • 対話(dialogue):他人と交わす新たな情報交換や交流のこと
  • 会話(conversation):すでに知り合ったもの同士の楽しいおしゃべり

平田さんは、対話や会話だけで成立している演劇を創られている方です。たいていの演劇にはナレーションが入ったり、幕間があったりしますが、それがない演劇です。ですから対話について深く考える必要があったのでしょう。
たまにサスペンスドラマなどで、新しい登場人物に「おお、これは○○村の駐在さん」なんて、話しかける場合がありますが、これなど、対話を演出しようとしてズッコケた例ではないでしょうか。対話はそれくらい難しいのです。

その難しい理由について、平田さんは、安土桃山時代から江戸時代の約400年間、極端に人口流動性の低い社会が続いたことが大きいと書いています。仲間内だけで通じる言葉さえ持っていれば事足りるのですから。俳句も、そうした曖昧な合意形成の文化の上に成り立っている、という指摘はなるほどなあと思います。

とはいえ現代においては、対話と会話の使い分けが必須です。仕事だけでなく、プライベートでも。この点について、ネット社会の記述でトラブルが起こる理由について、とても興味深い記述があります。

「会話を書く」という行為は、この二千年のあいだ、劇作家という職業に就く者だけが行ってきた。電脳社会の発達につれて、その特殊な行為を、多くの人が普通に始めようとしている。混乱が起こるのは当然だ。

通常の会話では、表情や声の抑揚などほかの文脈で補っていることが、ネットでは一切そぎ落とされてしまうので、素人には非常に困難なこと、というわけです。

明治時代から始まった「国際化」の波にもまれ、ここ十数年で始まった情報化の荒波を受け、日本語は大きく変わろうとしています。若者が次々と生み出す新語も、顔文字も、「とか弁」もコミュニケーションのための工夫だと平田さんは言います。そしてこの本の最後の節で次のように述べています。

言語の正しさと、その内容の豊かさは直接的には関係がない。どんなに正しく美しい日本語でも、中身が醜ければ、それは取るに足りないものだ。だから子供たちの発する言葉は、まずとにかくすべて受け止めてあげたいと思う。(中略)それが他人を傷つけるような言葉であっても、そのことを一緒に考えていけばいい。(中略)自分の思いが他人にまったく通じないという経験を通してのみ、子供たちはコミュニケーションの技術を学んでゆくのだ。

ほかにも示唆に富んだ中身がたくさんあるのですが、どうにもうまく魅力が伝わりません。ですが、言葉で意思を伝えるということについて興味のある方には、ぜひおすすめしたい一冊です。

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