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2008年2月21日 (木)

魂を養う教育 悪から学ぶ教育

「魂を養う教育 悪から学ぶ教育私の体験的教育論215の提言」曽野綾子著(海竜社)

なんだかものすごいタイトルの本ですよね。私もこのタイトルと、このブックデザインと帯をみかけたときは、ちょっとおびえてしまいました(ダジャレではありません)。ところが、怖いもの見たさと申しましょうか、書店で手にして、最初の一文を読んだとき、強烈に引きつけられました。

教育というものは「幼いとき」と「新しく或ることを始めるとき」には、往々にして強制の形を取ると言うことを、人々は忘れがちである。

この一文以降、学びの最初にあるさまざまな強制の形が語られています。もちろん、強制だけがよい教育と書いているわけではありません。「教育に強制という側面があることを、みなさん忘れていやしませんか」という問いかけです。私は、物事の視点転換を促すような文章が大好きなので、表紙がものすごいことなど(笑)すっかり忘れ、冒頭の一文にすっかりやられて、購入したのでありました。

本書はサブタイトルに「215の提言」とある通り、曽野さんが多数出された書籍や講演された内容などの中で、教育について触れた内容をまとめた本です。冒頭の一文も、初出はこの本ではなく「ただ一人の個性を創るために」という著作からの抜粋です。抜粋される分量は、短いものだと一行、長いものだと数ページにわたっており、最後の一行に出典が書いてあります。
テーマごとにぽんぽん教育論が繰り出される、とてもテンポの良い本に仕上がっています。芥川龍之介の作品に「侏儒の言葉」という評論ともエッセイともつかない本がありますが、この本の構成に似ているなと思いました。私は一気に読んでしまいましたが、この本は、ちょっとずつ読んだり、スピーチの参考にしたりするのに適した本だと思います。

さて形式の話が長くなってしまいました。本書のタイトルになっている「悪から学ぶ」ということに、私は感銘を受けました。「悪は存在しているからこそ学ばなくてはならない」と言います。

日本人は戦争というと全面的に否定しますが、その存在を否定してはいけない。戦争は悪だと思うのはいいけれど、悪は存在しているがゆえに学ばなくてはいけない。私たちは、すべてのことから学べる。悪からも善からも、虚からも実からも、おそらく学べる。

曽野さんはクリスチャンですから、ここでいう「悪」とは、人間の原罪でしょう。怠けたい、盗みたい、傷つけたいと思ってしまう、自分の悪い部分をきちんと見つめ考える教育をしないと、取り返しの付かない悪いことをしてしまう、ということなのだろうと思います。都合の悪いことほどよく見なければならないということです。

長くなりましたが、本書はいろんな意味で私に視点の転換ポイントを教えてくれました。いまは少しは柔軟になりましたが、若いときの私の考えは、非常に硬直的でした。本書はそれに気づかせてくれました。とても参考になりました。最後に、とても感動した一節を二つ、引用したいと思います。

小さいとき、学校で、人からどんな仕打ちを受けても、ただその人が幸せになることを祈る、という「報復の形」を教わりました。(中略)こういう反応の仕方は、虚偽的だと言われそうだけど(中略)仮に、自分にいやなことをした相手の不幸を祈って、それがその通りになったとしても、相手の不運を祈った自分のみじめさは残るばかりでしょう。そう思うと、憎しみの中にではなく、許しのうちに両者の存在する方法があるというのは、これまたおもしろいからくりです。

あらゆる物質は、こちらが取れば相手の取り分は減る、というのが原則である。(中略)しかし愛だけは、この法則を受けない。与えても減らないし、双方が満たされている。

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