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2008年5月26日 (月)

棟梁

「棟梁技を伝え、人を育てる」小川三夫/聞き書き 塩野米松(文藝春秋)

小川さんと言えば、高名な宮大工としてテレビや雑誌などでも数多く取り上げられているので、多くの方がご存じのことと思います。実際私もテレビを通じて知りました。仕事に対する姿勢がすばらしい方です。

その小川さんが、自ら作った組織である鵤工舎(いかるがこうしゃ)を後進に譲る(引退する)という本書の広告を見て、購入しました。広告に引用されていた文章が、短いながらも非常に印象的だったからです。

広告の文章は、本書の帯やカバーにも書かれています。

組織は一度は栄える。しかし必ず腐り始める。いつまでも俺が棟梁ではあかん。一番腐るのは上に乗ってるリーダーからや。今度は俺が席を譲る番や。

自分の引き際を察知し、後進にさっと譲り渡す、というのは、なかなかできることではありません。引き際を間違った経営者や政治家はずいぶんいます。後輩や部下というのは、どうしても自分よりも劣るように見えてしまうのと「俺がやらねば誰がやる」と思うからでしょう。しかし、そういう発想になっていること自体が「腐っている」と小川さんは言います。

小川さんがこのような発想を持ち得たのはなぜか-本書の聞き手である塩野さんは、若き日の小川さんが、西岡常一さんに弟子入りしたときのことを詳しく聞いています。この部分を読んで、私は小川さんが栃木県の銀行員の息子だったことを初めて知り、衝撃を受けました。テレビで見る小川さんの言葉は、ネイティブな関西方言に聞こえたからです。それに第一、勤め人の家に生まれて職人になれるものでしょうか。
このあたりの詳しいところは本書をお読みいただくとして、小川さんにとって西岡さんとの出会が非常に大きなことであり、それによって、人生よりも遥かに長い時間を前提にものを考えるようになったのだということがわかります。「職人の仕事は言葉では教えられない」と、小川さんは本書で何度も述べていますが、これも目先のことにとらわれてはいけないということでしょう。つまり、言葉で教える、いわば促成栽培のような育て方では、一時は良くてもそのうち馬脚を現す、ということです。

とはいえ、宮大工という職業できちんと生計を立てなければ、技術の伝承などできません。それに建築する寺社仏閣は柱が大きいために、数人の職人がいないと物理的に作業ができない、ということで、小川さんは鵤工舎を作ったのだそうです。こうした明確な意図を持って、組織を作ったからこそ、その経営においても、人作りにおいても多大な功績を残せたのでしょう。本書を「教育書」ではなく「ビジネス書」として紹介したのはそういうわけです。実際、私も人材育成と言うよりは、組織論として非常に参考になりました。最後に特に参考になったところを引用してみます。

山に生えている木は動くことができない。根付いたところで育つわけだ。(中略)それが木の癖になるんだな。(中略)(西岡棟梁は)その癖をうまく生かして建物を造れと言うんだな。今は癖のある木や曲がった木は使わん。使えんのや。(中略)嘆かわしい話やで。(中略)癖は才能やからそれは生かさなならん。(中略)その癖をなかったことにして、みんな同じような人間にしようとしているのが現代や。木は一本一本違うものや。それを今は「木」で一括りにして、工場製品のように扱おうとしている。(中略)そうした社会で子供の個性を生かすなんていうのは、言葉だけやというのがわかるやろ。その戒めの口伝があるんや。
「木の癖組みは工人の心組み」

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