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2008年8月 4日 (月)

いのちの食べかた

「いのちの食べかた」森達也著(イースト・プレス)

なんとも衝撃的なタイトルの本です。私たちは、植物か動物か、いずれにせよ他の生命をうばって、それを食料にしているのに、普段はあまり意識していません。そうした、いわば業を背負って生きている私たちについて、本書は、宗教的あるいは哲学的に説明しているのではないかと思いました。

しかし、その予想は良い意味で裏切られました。本書は、ジャーナリズム的視点で書かれた本だったのです。

本書は、著者の森さんが、読者に語りかける形式の構成です。小学校4年生以上で習う漢字にふりがながつき、難しい言葉も使わないように工夫されています。しかし、内容は簡単ではありません。冒頭森さんは、夕ご飯を話題にしながら、子どもたちに「肉食べた?」と問いかけ、その肉がどこから来るのか考えさせます。

牛は牧場にいる。豚や鶏は飼育小屋にいる。彼らはどこかに運ばれる。そこまでは分かる。そして次には、牛や豚はパックに入れられてスーパーの棚に並んでいる。その「あいだ」がない。生きている牛や豚と、パックの「あいだ」に、何があったかを君は知らない。(中略)牛や豚は、どこで、どんなふうに殺されるのだろう? 誰が殺すのだろう?
(中略)魚の市場はよくテレビでも紹介されるのに、肉の市場は(もしあるのなら)、どうしてテレビで紹介しないのだろう? その理由も分からない。(中略)実は大人だって、ほとんどの人は実際に、見たことがない。

「同じ肉なのに魚は分かるが食肉は分からない」ということについて、森さんはこの部分以外でも、繰り返し問いかけます。それはちょっとくどいくらいなのですが、本書の主張を理解する上でとても大事な点だからでしょう。実際ここにも書かれているように、多くの大人が肉のことを知らずに毎日食べているのではないでしょうか。

私が考える本書のテーマは、次の2点です。

  • 食肉の流通過程を多くの人はなぜ知らないのか
  • メディアは、なぜそれを伝えないのか

著者の森さんは、テレビディレクターです。ですから、本書で解説されている、牛や豚の解体過程は映像的な視点で解説されています。そして、その作業に従事する被差別部落の人たちの様子と、その歴史的背景については、ジャーナリスティックな視点で書いています。部落差別の歴史の入門書としてもよくできているのではないでしょうか。

しかし、本書の主張の中心はそこではありません。知らないでいること、考えないでいること、ないことにしてしまうことによって大変な世の中にしてしまったことが、ほんの数十年前にあったではないか、と森さんは言います。戦争中のメディアが軍部にべったりで、大政翼賛体制であったことは事実ですが、それはメディアだけの責任ではなく、そうした記事を望んだ読者、つまり国民の責任なのだと。

つまり本書はメディアリテラシーの入門書なのであります。知ろうとすること、考えようとすることが大切であり、そのための道筋がとてもよく書かれていると思いました。これで1000円というのは絶対安いです。最後に、本書の印象的な結びの部分を紹介します。

肉だけじゃない。僕たちはいろんなものから、気づかぬうちに無意識に目をそらしている。見つめよう。そして知ろう。難しいことじゃない。目をそらさなければ、いろんなものが見えてくる。そしていろんなものが見えるから、知ることもできる。部落差別はもちろん、世界中から差別なんて、いつかはなくなると僕は信じている。悲惨な戦争だって、いつかはきっとなくなる。そのときに僕たちは、きっと顔を見合わせてつぶやくだろう。
不思議だなあ。どうしてあんな、ばかばかしい時代があったのだろうって。

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