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2008年9月11日 (木)

行儀よくしろ。

「行儀よくしろ。」清水義範著(ちくま新書)

今から約20年前、私たちの世代は、メディアからは新人類などと呼ばれ、上司からも理解できない生き物という目で見られたものです。なのに、おじさんになった今では「最近の若い社員は」なんて、平気で口にしています。誠に人間とは反省しない生き物です。

本書の冒頭、清水さんは、年々加速しているかに見えるそうした風潮に疑義を示し、独自の教育論を展開しています。

本書の概要と位置づけは、「あとがき」によく表れています。

私は「今私たちに必要な教育」というような仮題で、この書を書いていった。(中略)私の言いたいことが、日本の生活文化を思い出してみましょう、というような掴みどころのないことだったからだ。半分ほど書いたところで、「文化の崩れを正す教育」という題名がいいかな、と考えた。(中略)ところが、全部書き上げてみたら「行儀よくしろ。」という題名が電撃的に頭の中に浮かんだ。(中略)単にふるまい方のことだけを言っているのではない。文化を守った美しい生き方を、日本人は取り戻すべきである、というのが私の言いたいことだ。

とはいえ、「子どもに文化を守らせよう」という主張ではありません。まず大人が、昔からの日本文化を知っているはずの大人が率先して古き良き生き方を取り戻そうと言っているのです。

私も仕事柄、教育書はよく読みますし、雑誌や新聞の教育に関する記事もよく読みます。その割に、このブログで取り上げている教育書は、さほど多くはありません。それは、「子どもには○○させなければならない」とか、「学校は○○すべきだ」といった論調のものが少なくなく、同意できないからです。とりわけ最近のマスコミの論調は、「教育=学校教育or家庭教育」といった単純なものが多いように感じます。つまり、学校が悪い、親が悪いというわけです。
清水さんは、そうした風潮を次のように批判します。

(学校は)一通り勉強を教えてくれるところで、それ以上のものじゃありません。(中略)全員に同じ授業をしているのだから当然です。学校での教育にあまりにも大きな期待をしてしまう人というのは、実は、それ以外での教育を軽視しているのだと私は思う。

これは決して学校の能力が低いという主張ではありません。学業以外の教育を、みなさん忘れていませんか、というのです。
私も、近頃学校の置かれている立場を見るに付け、この主張の妥当性を感じます。学校でやらなければならなくなった教育は、最近増えたものだけでも、性教育、食育、心の教育、情報モラル教育などなどたくさんある割に、やらなくて良いことになった教育はただの一つもありません。学校の予算も教職員数も授業時間も変わらないのに、教育の中身は増える一方。どこかで破綻しない方がおかしいくらいです。

清水さんは、アジア各地を旅する中で、日本の文化の衰えを感じたと言います。だから、私たち日本の大人たちに「行儀良くしろ」と言うのです。ふるまいだけでなく、心根の美しさを持とう、と。確かに、電車などに乗っていて、美しい所作のお年寄りを目にすると、それだけでいい気持ちになれます。

本書は、日本語の乱れに関する主張や昔は良かった的な主張もあり、部分的には納得できない意見もあります。しかし、「教育問題を学校のせいにするな」「まず大人が行儀良く」という主張に、私はかなり納得しました。2003年の初版以来もう10回も版を重ねている理由もわかる気がします。教育に関心のある大人の人に、ぜひお勧めしたい一冊です。

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