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2008年10月27日 (月)

走ることについて語るときに僕の語ること

「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹著(文藝春秋)

本書は約1年前、発売とほぼ同時に購入しました。人気作家が初めて自分のことについて語ったエッセイ、という関心もさることながら、表紙や口絵に使われている、村上さんの走る後ろ姿の写真に惹かれたからです。背中やふくらはぎの筋肉は、完全にアスリートのそれでした。私も多少の運動経験があるので、これが生半可な運動で形成されたものでないことは、一目で分かりました。

この背中が「ノルウェイの森」などの恋愛小説や、「ねじまき鳥クロニクル」など、人間の内面を抉るような作品を創り出しているとはとても想像できません。とても興味を持って購入したのですが、最近まで「積ん読(どく)」状態でした。ずっと気にはなっていたのですが。

今回改めて読んでみて、非常に得るところの多い本でした。
まず、村上さんが作家を目指した経緯について語っている部分。作品から受けるイメージは、「日本語も英語も軽やかに操る天才作家」という感じでしたから、若い頃から才能を発揮していた方、と勝手に思っていました。ところが作家デビューは意外にも30歳のとき。そして走り始めたのが、33歳のとき。そのあたりのことを村上さんは、つぎのように描いています。

小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。1978年4月1日の午後一時半前後だ。その日、神宮球場の外野席で一人ビールを飲みながら野球を観戦していた。(中略)ヤクルトはシーズンの開幕ゲームの相手として、広島カープを本拠地に迎えていた。(中略)先頭バッターのデイブ・ヒルトンがレフト線にヒットを打った。バットが速球をジャストミートする鋭い音が球場に響き渡った。ヒルトンは素速く一塁ベースを周り、易々と二塁へと到達した。僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。晴れ渡った空と、緑色を取り戻したばかりの新しい芝生の完食と、バットの快音をまだ覚えている。(1)

走ることは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった。僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、達成規準のバーを少しずつ高く上げ、それをクリアすることによって、自分を高めていった。(2

(1)は第二章から、(2)は第一章からの引用なのですが、「ヒルトンがヒットを打ったから作家になろうと思った」「走ることは有効なメタファー」と言われても、何のことだかさっぱりわからないでしょう。私も最初は「?」だらけでした。けれども、晴れ渡った空やそこに浮かぶ雲、緑は、本書では、村上さんの心象を表すキーワードです。さらに走ること、走っているときの意識、あるいは、走る周辺のことは、書くことや人生の比喩として、何度も関連づけて語られます。詳しくは、ぜひ本書をお読みください。

本書を読んで、私が最も意外だったのは、村上さんがいつも苦吟して創作しているということです。村上さんの作品は、日本人作家として海外で最も翻訳されているそうですが、それは作品のどれもが独創性にあふれているからでしょう。そうしたこれまで誰も描かなかった世界を、苦もなく切り取れる人だと思っていました。そうでなければ、たくさんの作品をこれだけのバリエイションで書けるはずがありません。
さらに自らは体験派であって、実感して、自分の腑に落ちたことしか書けない、とも語っています。「ねじまき鳥クロニクル」を読んだとき、私は、村上さんは精神を病んだことがあるのではないかと思いました。それほど、そこに書かれた狂気はリアリティがあったのです。

しかしそれらが、「走る」ということの関わりで、明確に諒解できます。毎日毎日走り続ける中で、村上さんは、小説の書き方を学んだと書いています。また、サロマ湖ウルトラマラソンを走ったときの記述で、75キロを過ぎてから意識がなくなったことを書いていますが、これは「ねじまき鳥」で重要なシーンである、井戸の中での思索に通じるところがあります。本書には書いてありませんが、井戸の中とは、ウルトラマラソンではなかったかと思うのです。

村上さんに比べれば、まったく笑ってしまうほどちっぽけなことですが、私自身、このブログを1年半、1万歩歩くことを約2年続けてきました。「続けると、何か見えることがある」というのは、私も感じていることです。この経験があったからこそ、本書を実感を伴って読めたような気がします。

本書を読んで、村上作品をもう一度読み直してみようと思いました。

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