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2008年12月 8日 (月)

教えることの復権

「教えることの復権」大村はま/苅谷剛彦・夏子著(ちくま新書)

「復権」を辞書で引くと「一度失った権利などを回復すること」と説明してあります。つまり、本書の現状認識は、「教えること」が失われているというわけです。学校は教えるところなのに、教えることが失われているとはにわかには信じられません。

また、本書の著者陣もユニークです。言語心理学者の波多野完治氏をして「100年に一人の実践家」と言わしめた大村さんと、教育社会学者の苅谷さん、さらにその奥さんの夏子さん。こうした世代も立場も全く異なる3名が、教えることについて語るという企画の面白さに惹かれました。

本書は大きく2つの中身で構成されています。

  1. 大村さんvs苅谷夏子さんの対談、および剛彦さんを交えての鼎談
  2. 苅谷剛彦さんの主張「教えることの復権を目指して」

1の対談(鼎談)では、大村さんの国語実践とはどんなものだったのか、を明らかにしています。聞き手の夏子さんは、中学生時代、大村さんが国語を教えるクラスに2学期から転入し、それまでの国語授業との違いに衝撃を受けたそうです。それだけに、その強烈な記憶をもとにした対談は読み応えがあります。大村さんのお話の多くは、その著書「教えるということ」などに書かれていることと同じですが、その実践を生徒がどう受け止めていたか、というのが分かる、という点でとても価値があります。大村さんの著作をお読みになったことがない人にとっては、その入門としても読むことができるでしょう。

また、2の苅谷さんの主張も非常に説得力がありました。まず大村実践の今日的意味を明解に解説しています。そればかりではありません。苅谷さん自身が大学で行っている授業の方法論を具体的に示し、その効果と限界を解説しているのです。世の中に教育を専門とする大学教授はたくさんおられますが、自らが教える様子に言及した著作はどれほどあるでしょうか。他人の授業は論評するのに、ですthink
つまり「教えることの復権」は、苅谷さんにとってもいまここにある問題なのです。だからこそ本書の主張は、現役の先生にとっても共感的に読めるのではないでしょうか。この章の魅力的な小見出しをいくつかご紹介しましょう。

  • 多忙な教師(足し算の発想でしばりつけられ「教えられない」現状)
  • 教育目標と学習活動のあいまいな、あるいはのんきな関係
  • 意欲や関心は「学力」なのだろうか?
  • 考えることを教える(苅谷先生の授業の実際)
  • 知性によってしか解決できない社会的困難

これだけでも十分と思いますが、本書の最後に、大村さんが、苅谷さんの取り組みの魅力を端的に書いています。その一部を、かいつまんでご紹介しましょう。

教師となる日を思っている大学生の訪問を受けることがある。話を聞きながら「大学で何を勉強しているのだろう」と考えたことが、一度二度ならずあった。剛彦さんの力作の第五章を読んで、あわてたような驚きを感じつつ、今、これらのことばを取り消します。彼もまた人を育てる仕事に苦労する仲間であった。読みながら何回も「そう、そうです」と思わず声に出しそうになった。人を育てる仕事はここに、と叫ばないで、いつのまにか道を見せている。この若い学者の指し示しているものを、落ち着いて学んでいこう。(本書を)珍しい組み合わせの著者の本、と言ったが、珍しいでは言い足りない、互いに信じ合い、尊敬し合いながら、ひそかに堅く手を握り合いながら、それぞれの力を尽くした本である。

敬体と常体を上手に織り交ぜた、魅力的な文章です。苅谷さんの硬質で学者然としながらも、教育への熱い思いを綴った文章との対比も面白く読めました。この文章から、50歳も年齢の離れた二人の教育者が、夏子さんという媒介を得て交わり、影響し合っていることがよく分かり、感動しました。

ことばの力の教育は、学校の先生はもちろん、ビジネスマンにとっても重要な課題です。教える側と教わる側の関係が難しくなっている今、「教えること」に興味のある方にはぜひ読んでいただきたいと思いました。

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