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2009年3月12日 (木)

博士の愛した数式

Hakase 「博士の愛した数式」小川洋子著(新潮社)

読みたくて買ったのに、結局何年も読んでない本が、本棚に何冊もあります。私の読書は、通勤時間が中心なので、どうしても文庫本や新書を読むのが先になり、それ以外は、後回しになってしまう、というのが原因です。

本書も購入したのは確か3年前。帯に「2006年映画化決定」「第一回本屋大賞受賞」なんて書いてありますsad。「そういえば『本屋大賞』に興味を持って買ったんだっけ」と思い出しながら読んでみました。

一読後、なんとも言えぬ気持ちになりました。決して爽快な終わり方ではないのですが、さりとて不快でもありません。とても不思議な物語です。簡単に冒頭部分のあらすじをご紹介します。

家政婦として働く「私」は、ある日元数学者「博士」の家を紹介される。なぜ「元」かといえば、彼は交通事故のために、80分しか記憶が保持されないという障害を負っていたのだ。つまり、「博士」にとって「私」は毎朝初対面の家政婦。その上数学のみを愛し、他に全く興味を示さない。「私」は困り果てるが、「私」に10歳の息子がいることを知ってからその関係は急変する。「博士」は、次の日から息子を連れてくるようにと言い、彼を「ルート」と名付け、非常に大切にする。その日から3人の、奇妙な、それでいて柔らかな生活が展開される。「私」にとって「博士」は、徐々に雇い主以上の存在になり、「ルート」も彼を友だちのように考えるようになるのだが…。

このブログを書くにあたり、この不思議な物語をもう一度読み直してみて、確信しました。これは、恋愛や友情とは違う、しかし人間の愛の物語なのだと。「私」は「博士」に影響されて、徐々に数字の世界にはまって行きますし、「博士」も数学以外に興味がなかったのに、「私」がてきぱきとこなす家事に興味を持ち、「ずっと見ていたいんだ」と言うのです。お互いが、相手の得意技を尊敬し合うようになるわけです。もし「博士」の記憶力が正常であれば、二人は恋愛関係になったかも知れない──そんな想像さえわき起こります。さらに「博士」を支えるもう一人の女性である「博士」の「義姉」の存在も重要です。「義姉」は「私」の雇い主。「博士」を巡る気持ちのすれ違い、微妙な三角関係も物語の重要な部分を構成しています。

作者の小川さんは、芥川賞をとった「妊娠カレンダー」でも、その心理描写が高く評価されていましたが、本書でもそれは遺憾なく発揮されています。圧巻は、後半に描かれたパーティのシーンです。

「博士」が数学雑誌の懸賞問題で一等を獲得したお祝いのために、「私」はパーティを企画する。しかし「博士」が固辞したため、「ルート」の誕生パーティとして行うことになった。「私」と「ルート」にとっては、「博士」を喜ばせるため、「博士」にとっては、「ルート」の成長を祝うためのパーティ。3人はそれぞれ、このパーティを大切に思い、一致協力して準備をするのだが、購入したケーキに肝心のろうそくが入っていない。ろうそくを求めて時間を浪費した結果、「博士」の記憶はリセットされてしまう…

たったこれだけのことが、丹念な描写によって、3人の間に漂う、なんとも言えない温かくそして少し悲しい空気が、非常にリアリティを持って描かれています。「ああ、いい小説を読んだなあ」素直に、そう思うことができました。

近頃は、出来事の珍妙さ、言動の奇矯さばかりを頼みにした、あらすじのような「小説」が少なくありません。それらが一概に悪いとは言いませんが、1回読んでそれきり、というのは少し寂しい気がします。こうした上質な物語は、折に触れて読み返したくなりますし、読み返すたびに新たな発見があります。本書は、すでに文庫化されて久しい本です。「たまには小説でも」とお考えなら、ぜひ一読することをお勧めします。

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» 小川洋子『博士の愛した数式』 [時折書房]
博士の愛した数式著者:小川 洋子販売元:新潮社発売日:2003-08-28おすすめ度:クチコミを見る 間違いなく、傑作。 出版社/著者からの内容紹介 記憶が80分しか持続しない天才数学者は、通いの家政婦の「私」と阪神タイガースファンの10歳の息子に、世界が驚きと喜びに満ちて...... [続きを読む]

受信: 2010年1月15日 (金) 06時28分

» 「博士の愛した数式」 小川洋子著 新潮社 [きたあかり カフェ]
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受信: 2010年6月 6日 (日) 16時02分

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