« 拝啓十五の君へ | トップページ | 「声」の秘密 »

2009年5月14日 (木)

白川静

「白川静 漢字の世界観」松岡正剛著(平凡社新書)

編集の仕事をしていたとき、白川さんの存在を知りました。そのときは漢字を研究している人、という認識しか持っておらず、「字統」「字訓」という有名な著書も、もっぱら漢字の成り立ちについて調べたいとき、辞書のように使っているだけでした。

ところが、本書を読んで白川さんを「漢字学者」と捉えるのは、いわば自動車を「鉄」と捉えるがごとき間違いであることを知りました。

本書は、編集者として有名な松岡さんが、白川静さんの業績について解説した本です。見返し部分に記載された、本書の説明書きが、その特徴を端的に表しています。

博覧強記の著者が”巨知”白川静に挑み、その見取り図を示した初の入門書

意外なことに、白川さんについて解説した本は、これまでなかったのだそうです。確かに難解な著作が多い上、学会では長く認められてこなかった白川さんについて書くのは、誰にもできることではありません。「情報を取捨選択し、伝わるように加工する」編集のプロである、松岡さんだからこそできた仕事でしょう。白川さんの仕事の入口を、すっと理解することができました。このあたり、白川さんの有名な著書を引き合いに出して、解説しています。

私たちは漢和辞典や辞書や字書というものには、漢字一文字ずつの字義解説があると思ってきました。けれども白川さんが構築した字書、「字統」「字訓」「字通」は、文字の字義や音義や由来を通り一遍に解明するというような生やさしいものではなかったのです。それらは、そこから世界観や社会観や人生観が唸りを上げて飛び出してくるような研究プロセスそのものでもあったのです。ということは、白川さんの漢字研究は「言語の本質との決闘」のようなものだったということです。

漢字には、その意味を表す祈りや呪いのようなものがあり、それゆえ祭祀に使われたのだ、というのが白川さんの説です。「字統」は、その考えに基づく独自の漢字分類を行い、起源を解説した本です。
Wa たとえば「話」という文字は、「言」と「舌」の組み合わせだから、「はなす」になった、というのが従来の説明です。けれども白川さんの説は違います。「舌」は、祝詞(のりと)を入れる器「口」に載せられた鋭い刃物「千」の組み合わせであり、器中の祝詞の効力を刃物で削り取って失わせるという意味になると言うのです。つまり全体として「話」の意味は、人を打撃したり中傷するような切っ先鋭い言辞のことを示しているといいます。従来の辞書とはずいぶん異なる説明です。
このような解説の姿勢を、松岡さんは「生やさしいものではない」と評しました。漢字とは、単に偶然によって部品が組み合わさったものではなく、強い意味(祈り)を持って必然的に生み出された文字だというのです。松岡さんは、白川さんがこうした考えに至ったのは、中国の代表的な古典「詩経」と日本の代表的な古典「万葉集」がキーポイントになっているといい、その著書を丹念に調べて解説しています。

そして、本書で最も私が驚いたのは、白川さんが「漢字は国字である」と定義していることです。ここで言う「国字」とは、日本でできた漢字、という意味ではありません。日本語を表記する文字、という意味です。
日本語は、漢字を、その意味を利用すると同時に、音だけを借りて文字にし(かなの発明)、その二つを上手に組み合わせ、しかも、多くの漢字に、音訓など複数の読みを設定しています。これは本家の中国には全く存在しない使い方だというのです。だからこそ、中国でさえあまり研究されてこなかった、漢字の原義について正確に知る必要があるのだと。松岡さんは、本書の中で、これが白川さんの学説の中心であるとして紹介しています。

本書は、昨年度の「新書大賞」受賞作だそうです。確かにそれにふさわしい、知的刺激がたくさん詰まっています。私も、改めて「字統」「字訓」「字通」を読み直そうかなと思いました。

|

« 拝啓十五の君へ | トップページ | 「声」の秘密 »

ノンフィクション」カテゴリの記事

教養書」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29188/45933400

この記事へのトラックバック一覧です: 白川静:

« 拝啓十五の君へ | トップページ | 「声」の秘密 »