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2009年5月18日 (月)

「声」の秘密

The Human voice 『声』の秘密」アン・カープ著/梶山あゆみ訳(草思社)

ここ数年私の課題は「伝えること」と「伝わること」です。当然それに関わる本はたくさん読んできました。けれどもこれまで考慮してきたのは、文字表現に関わることがほとんどだったような気がします。

本書を書店で見つけたとき、興味を持ったのは、そうした自分の興味の偏りをなんとなく感じていたからかもしれません。

書店で立ち読みをしていた時、次の文章が目に止まり、購入を決めました。これまで「思いは、上手に文字や言葉にすれば伝わる」と信じていた私にとっては衝撃だったからです。

作家のドロシー・パーカーは、とあるパーティに一人で出席して退屈していた。そこでかすかに見覚えのある人が近づいてきて「お元気?」とか「どうしていました?」と訪ねるたびに、こう返事をしてみた。「今主人を斧で殺してきたのでとても元気ですわ」これを、いかにもパーティの雑談ふうのイントネーションで話したので、誰もがただ微笑み、うなずくと驚きもせずにその場を離れていった。
このエピソードからも分かる通り、話す言葉の中身よりも、声の高さや大きさ、速さなどの方がものを言う場合がある。

日本ではこうした冗談はあまり使わないような気もしますが、実際、そんなこともあるだろうなと思います。それほど私たちは、音声コミュニケーションにおいて、「声」に影響されているのです。

本書は、3部構成で書かれています。まず第1部では、人間の発話機構の詳細とその発達過程の説明が中心です。とりわけ、生まれたばかりの赤ちゃんの耳が、とりわけ人間の声に反応する、という事実に着目して、様々な解説をしています。このうち私は、赤ちゃんの聴覚が、次第に母語を聞き取るように変化していく、という過程の解説に興味を持ちました。以前ご紹介した本に「第二言語の習得は難しいのに、第一言語(母語)の習得に失敗する人間はまずいない」という説明があり、心に残っていたからです。人間は、声でコミュニケーションするようにできているのだなあ、と改めて実感しました。

次に第2部は、声の文化的社会的側面です。自分の声はなぜ奇妙に聞こえるのか、といった問題から、声に込められる感情の話、声とジェンダー、声と民俗文化など、非常に多岐にわたっています。今では考えられないことですが、放送の黎明期においては、女性の声は電波に乗りにくいとか、スピーカーでは聞き取りにくいといった偏見が数多くあったという話題が印象に残りました。また、著者のカープさんは日本に造詣が深いようで、「日本人女性の声はとりわけ高い」とか、「テレビキャスターの小宮悦子さんは声を低く改造して成功した」といった記述が見られます。

そして第3部は「声の温故知新」ということで、政治家の演説やテクノロジーについて「声」の視点から考えています。この中で、次の主張は鋭いと感じました。

パワーポイントは、声の不確実さを補う道具として有効だが、議論を封じる手段との指摘もある。私たちは体一つで話すのに不安があるものだから、自分に代わって機械に話させようとしている。

カープさんは、科学者ではなく作家でありジャーナリストだそうです。本書の中身は、彼女が取材した内容なのでしょう。意地悪な見方をすれば、根拠が薄弱で、あまり論理的でもありません。しかしこれだけ声についての話題を集め、それについて論述したことが重要です。私自身非常に参考になりました。
本書を通じてカープさんが言おうとしたことは、およそ次のようになるかと思います。

私たちは声すら機械化しようとしているが、元来人間の体は、声でコミュニケーションするようにできている。もっと声を意識した意思疎通をしよう。

これは、非常に重要な視点ではないでしょうか。コミュニケーションについて新しい視点をもらった一冊でした。

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