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2009年8月20日 (木)

人間失格ではない太宰治

「人間失格ではない太宰治 爆笑問題 太田光の11オシ」太田光編著(新潮社)

今年になってから、太宰治の関連書籍が山のように出版されています。一般的には「生誕100年にあたるため」と説明されていますが、実際は没後60年、つまり著作権が切れたから、ではないでしょうか。少なくとも私はそう思っています。
とはいえこれは、著作権料を支払わなくて良いから儲かる、ということとは違います。これまでやりにくかった、様々な企画に挑戦できるのです。おそらく本書もその一つと思われます。

本書はサブタイトルにもある通り、爆笑問題の太田さんが選んだ、太宰治の11の短編が収録されています。

  1. 魚服記
  2. 女生徒
  3. 駆込み訴え
  4. ろまん燈籠
  5. 富嶽百景
  6. 愛と美について
  7. お伽草紙──瘤取り
  8. お伽草紙──浦島さん
  9. お伽草紙──カチカチ山
  10. お伽草紙──舌切雀
  11. 雪の夜の話

ど派手なピンクの表紙とは裏腹に、本文はザラ紙のようであり、1色刷。活字も活版印刷風の明朝体が使われていて、地味な印象です。さらにページ全体にピンクや水色のインクが使われているところがあり、それがまた、昭和初期の雑誌のような雰囲気を醸し出しています。

私自身、太宰作品は「走れメロス」や「斜陽」「パンドラの匣」くらいしか読んだことが無く、ましてやその評論など関心すらありませんでした。本書を書店で見かけた時も、「なぜ太田さんが」と思う程度だったくらいです。しかし、太田さんが書いている本書の前書きの中に気になる一節があったので読んでみようと思いました。

無垢な美しさへの憧れと、愚かな醜さへの共感。(中略)そういったテーマをこの作品の中では”苦悩”としてではなく”喜劇”として完成させたことにおいて、M・C(マイ・コメディアン)を自認していた太宰は、「お伽草紙」を書いた時こそ、自分自身が一番なりたかった「太宰治」になれたのではないかと思う。

太宰が自身をM・Cと称していたというのは、有名なことのようですが、恥ずかしながら私は本書を読むまで知りませんでした。太宰を知る上で、とても重要なキーワードのようで、本書の中に再録されている、吉本隆明や小林信彦の評論や、坂口安吾の追悼文も「M・Cとしての太宰」が中心となっています。そういう意味で、太田さんが本書の編者となるのは、極めて自然なことなのだと実感しました。

本書には、他にも興味深い「太宰論」が掲載されていて楽しめます。たとえば、堀井憲一郎さん。「ずんずん調査」で有名なこの方らしく、太宰の全作品の書き出しの文と結びの文を書き出し、比較しています。作品研究の一つのあり方として、非常におもしろい切り口だと思いました。
他には、モデルの押切もえさんの文章。自身の多感な思春期と大けがによる挫折の経験を、太宰作品の表現と重ね合わせて論じる文章は、とても好もしく、説得力がありました。

そしてなんといっても、芥川賞作家であり歌手でもある川上未映子さんの文章。今年の10月に公開される「パンドラの匣」という映画に出演している彼女は、文章を書くという作業を「単語を組み合わせること」だとし、映画に出演することは「単語になる」ことだと書いています。そして映画出演後に太宰作品を読み直した感想を次のように述べています。

撮影が終わって、太宰の文章を再読すれば、一文字も何にも、やはりどこも、変えられない。他の単語や組み合わせでは代えのきかない精緻が、ぎっしりとたおやかにつまってありました。(中略)だからこそ、彼が残した本をどこからでもぱっと開けば、そこにある「単語全員」が緊張しながらも、同時に安堵しているように感じずにはいられない温度が、囁くように、逃げるように、笑いかけるようにいつだって満ちてある。

作品も読めて、その有名な評論も読めて最近活躍されている方の文章も読めて740円。とてもお得な一冊でした。

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