« 16歳の教科書2 | トップページ | こんな教科書あり? »

2009年8月 6日 (木)

教師になるということ

「教師になるということ」池田修著(ひまわり社)

本書の著者である池田さんは、著書もたくさんあり、NHKの教育番組にもずいぶん出演されているので、ご存じの方も多いでしょう。京都橘大学の先生です。先日その池田さんの授業を拝見する機会があり、その予習として本書を読んでみることにしました。
数ある著書の中から本書に決めたのは、前書きにとても気になることが書いてあったからです。その要旨をご紹介しましょう。

私は、小学校や幼稚園の先生、保育士を育てる学科で、「学級担任論」という授業を持ちます。おそらく、日本の教員養成系大学でこの授業を行っている大学はほとんどないと思います。大学院には、「学校経営論」といって、校長先生になる人が学校経営について考える授業があるのに、「学級担任論」はありません。先生になれば、必ず学級担任にはなるのに。

私はこの部分を読んで、思わず膝を打ちました。「なるほど、こういう視点があったか」と。

教師を目指す学生さんといっても、ついこの間までは、先生に担任してもらっていた高校生です。教育学や心理学、教科教育学を学んでも、結局担任してもらっている意識が抜けないままではないでしょうか。その上、ある日突然教育実習に行かされ、実践の場で途方に暮れて帰ってくる、というわけです。実際、私自身がそうでした。
「学級担任論」は、単なるノウハウを教えてくれる授業ではないことは、本書を読めば分かります。ポイントは、学生の意識変革、つまり「もうあなたはこっち側(教師側)に立つのですよ」という意識づけにあるのでしょう。この意識の切り替えさえ上手にできてしまえば、教える仕事についてより主体的に学んで行けるはずです。このあたりの手立ての見事さは、さすが授業名人と言われる池田さんならでは、と感じます。さきほど、池田さんの「講義」ではなく「授業」と書いた理由はこういうわけです。

本書は、あくまで教師を目指す人のために書かれた本であり、「学級担任論」の本ではありませんが、それでもかなり担任論のエッセンスが入っているなあと感じます。たとえば、子どもとの距離感、という話題のところで次のような説明をしています。

子どもたちは、自分を中心にした世界観を持っています。先生が「友人」のように振る舞っていたにもかかわらず、突然「先生」として振る舞い始めると、この変化を裏切りだと捉えるようになり、文句を言い始めます。保護者は大人の視点で自分の子どもに教育してくれれば良いのですが、これまた「自中心主義」が増えてきて、回りのことが見えにくくなっていますから期待しにくい。となると、教師自身が子どもの成長のために、クラスをきちんと指導していくために、規準を設定して、その規準に従って子どもとの距離を正しく保つ必要があると私は思っています。

以後、規準についての具体的な解説が続きます。こうしたことは、教育実習でも経験する葛藤場面だと思いますし、教師という立場に立つと言うことを実感する事例です。本書では、こうした具体的な事例が随所にあります。これは、池田さんが教師生活約20年のベテランだから、ということだけではないでしょう。教師という仕事を俯瞰的、客観的に考え続けてきた結果なのだろうと思います。それを象徴しているのが、次の文章です。

教師は指導法などについて、常に学び続けなければなりません。ということは、いま教えている生徒より、来年教えている生徒の方が優れた指導方法で指導されることになります。(中略)これはどうしようもない事実です。

言われてみればその通りなのですが、こういう視点はなかなか持てません。ある意味自己否定ですから。けれども教師という仕事に限らず、自分の仕事をこうした視点でとらえ、説明することは非常に重要ではないでしょうか。自分の仕事がどういう原理で社会と関わっているのかということを考えることが、正しい成長につながるはずだからです。私は本書を読みながら、何度も「自分は、仕事をこれくらい分析的に語れるだろうか」と自問しました。
学生さんたちには、もちろん有意義な本ですが、ベテランの社会人にとっても「仕事を客観的に捉えてみる」という視点を持つためには、よい本ではないかと思いました。

|

« 16歳の教科書2 | トップページ | こんな教科書あり? »

教育書」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29188/45933432

この記事へのトラックバック一覧です: 教師になるということ:

« 16歳の教科書2 | トップページ | こんな教科書あり? »