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2009年8月10日 (月)

こんな教科書あり?

「こんな教科書あり? 国語と社会科の教科書を読む」谷川俊太郎・斎藤次郎・佐藤学著(岩波書店)

世の中に「教科書的」という言葉がありますが、これは、果たしてどのような文脈で使われるでしょうか。ざっと考えてみました。
「面白くない」「真面目すぎる」「当たり前」「守旧派」「通り一遍」「優等生くさい」「基礎基本」「創意に欠ける」
まあ、こんな感じでおよそポジティブな文脈で使われることはまずないように思います。学校教育において教科書は、重要な存在のはずですが、どうしてこうなってしまったのでしょうか。本書でも、教科書に対する罵詈雑言が「これでもか」と並んでいます。

  • 国語・社会科を問わずですが、こういう教科書は本じゃないという気がしたんです。なぜ本ではないかというと、作者がぜんぜん見えてこないということです。(谷川さん)
  • こんな小さな冊子の中に詰め込められるだけ内容を詰め込んでいる。(中略)いろんなものが入っているんだけど、一つの教科書の中に脈絡が感じられない。(佐藤さん)
  • 子どもがみんな笑っているというのが本当に不気味なんですよね。動物も笑っている。異質な子どもはぜんぜん出てこない。(谷川さん)
  • いま文体という観点がまったくないんです。だから一年生のは、すこくチープな日本語からはじまっているんです。「はるの はな/あおい あおい」なんて、なんの表現にもなっていない(谷川さん)
  • 教科書には作文がいっぱい出てくるんだけど、相手のことがぜんぜん出てこない。つまり作品が全部モノローグの言葉なんです。(佐藤さん)

ざっと国語教科書への批判だけでもこんな具合です。その通りだなと思うような意見がある一方で、「笑顔ばっかり」なんてのは、ちょっと言いがかりのような気もします。そうじゃないイラストもたくさんありますからね。

私は教科書編集者だったことがありますから、どうしても教科書を作る側の味方になってしまいますが、問題は、教科書そのものよりも、教科書行政にあるような気がしてなりません。まず、ほとんどの学校の先生は、教科書がどこでどう選定されているのか、おそらくご存じないでしょう。以前は先生方の投票で決めていた地区もありましたが、今ではほとんどの地区で、秘密裏に教科書が決められています。決めることに関与できないのですから、先生方は、どうしても教科書を「すでにあるもの」として認識してしまうわけです。ですから、本書で佐藤さんが述べているように「残念ながら教科書に対して教師が批判的に読むということは、ほとんどやっていない」という状況になってしまうのではないでしょうか。

教科書が秘密裏に選ばれてしまうことの弊害は、もう一つあります。それは、先生方と教科書編集者の接点が限りなく制限されてしまうと言うことです。教科書編集者は、教材についてよく考えておられますし、何しろ作品周辺の知識を豊富に持っています。私が駆け出しの編集者だった頃、勤務先には、「知の巨人」とも言うべき編集者が何人もいました。
こうした人から教科書編集の経緯を聞ければ、それはそのまま教材研究となり得ます。さらに授業をよく見ている編集者なら、授業展開案まで聞くことができるはずです。

これは単に、楽ができるということではありません。本書で再々批判されている「教科書に子どもの暗部が取り上げられないこと」「難解さがないこと」などの理由、つまり本音部分が聞けることが大きいのです。そう、ここで批判されていることの理由は、すべてきちんとあるのです。そしてそれを知ることは、先生方にとって大きなメリットなのです。本書でも最後に谷川さんが「教科書編集者からの反論に期待したい」というような意味のことを書いておられます。

今月は総選挙もあり、選挙結果は、教育行政にも影響があるかも知れません。教科書と学校の関係が、こうした本をきっかけに正常化してくれたらなあ、と切に願って本書を取り上げてみました。今回は、ほとんど本の紹介になっておらず、すみませんでしたcoldsweats01

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