« 思考・発想にパソコンを使うな | トップページ | ブログ引っ越しは意外に難しい »

2009年9月14日 (月)

寺よ、変われ

「寺よ、変われ」高橋卓志著(岩波新書)

今や世の中のあらゆる分野で「改革」が叫ばれています。政治改革・教育改革・経営改革などなど…。いまやその言葉を新聞やテレビで見かけぬ日はないほどです。けれどもそれらの言葉からは、自分を埒外において、安全地帯からもの申しているような評論家臭が漂います。

本書は、いわばその対極に存在している本です。現役の僧侶が、日本の寺の現状を憂い、自らの体験を元にその「改革」の道筋を、具体的に主張しています。

高橋さんは、プロローグにおいて「現代社会には多様化し巨大化した『苦』が存在する」と述べています。激甚災害や理不尽な犯罪の発生、自殺者の増加、経済格差の拡大等です。その上で、日本の仏教の現状認識を、第1章「寺は死にかけている」において、次のように批判します。少し長いですが引用してみます。

伝統仏教が「瀕死」状態であることは、すでに夜の人々の目には明らかに映っている。しかし、人々はなかなか発言しない。(中略)正面から批判しないと言うことは、もっと深刻な問題を呈していると考えねばならない。つまり人々は伝統仏教を「見限っている」のである。(中略)この痛烈な批判は、坊さんである私自身に突き刺さる。しかし「瀕死」であるはずの当事者の坊さんたちに、切迫感が感じられない。坊さん社会は、能力の優劣にはあまり関係のない長老主義と大寺権威主義という堅固なヒエラルキーの中にある。(中略)こういった中に埋没していれば個々の感性を磨く必要はないし、実際、感性が磨かれることもない。

旧来のヒエラルキー社会に身を置いた人なら、その中から声高に批判を述べることがどれだけ危険で見返りの少ない行為かは想像が付くことと思います。長老でも権威ある大寺の住職でもない高橋さんが、このような主張をするのは、本気で仏教を、お寺を変えたいと思っているからに他なりません。
なぜ変わらなければならないのか。高橋さんの主張をかいつまんでまとめると次のようになります。

  • 先の見えない世の中なのに、寿命が長くなり、人々の不安が増している。世の中を「一切皆苦」と考える仏教にできることがある。
  • 科学の発達で生命の始まりと終わりが非常に曖昧になっている。科学では決着が付かない問題に対し、仏教が果たす役割がある。
  • いわゆる団塊世代が一斉に寿命を迎え、未曾有の大量死時代が間近に迫っている。残された人のケアに、仏教が関われるはずである。
  • 仏教に対する不信感もあり、葬式に僧侶が関わらない「直葬」が増えている。しかしそれでは喪失感は癒されない。今こそ仏教が信頼を取り戻す時である。

真に見事な現状分析です。この分析ですごいなあと思ったのが、高橋さんの知識の広さと深さです。仏教ばかりかキリスト教にも造詣が深く、生命科学や世界史、経営学にも精通しておられます。こうした背景があるからこそ、これだけ力強い主張ができるのでしょう。
しかも高橋さんは、現状分析と同業者の批判をするだけではありません。寺で様々なイベントを開いたり、社会貢献を目的としたNPOを立ち上げたりして、公益法人としてのお寺のあり方を具体的に示しています。さらには、不透明と言われるお寺の経営を完全に公開して、お布施に領収書さえ出しているのです。すべてはお寺が信頼を得るためのことですが、なかなかできることではないでしょう。

このように本書からは、全編を通じて、高橋さんの強い思いが伝わってきます。しかし、よく考えてみると、高橋さんが改革しようとしているお寺の状況は、実は、日本の多くの組織に当てはまるのではないでしょうか。私たちは、傍観者を気取り、自ら行動しないことを棚に上げて愚痴ばかりこぼしていはしないでしょうか。
高橋さんが本書を通じて本当に言いたかったことは、お寺「だけの」改革では無いような気がしました。

|

« 思考・発想にパソコンを使うな | トップページ | ブログ引っ越しは意外に難しい »

教養書」カテゴリの記事

評論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29188/46205984

この記事へのトラックバック一覧です: 寺よ、変われ:

« 思考・発想にパソコンを使うな | トップページ | ブログ引っ越しは意外に難しい »