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2009年10月22日 (木)

秘密とウソと報道

「秘密とウソと報道」日垣隆著(幻冬舎新書)

このところ、伝統ある雑誌、隆盛を極めた雑誌の休刊が相次いでいます。つい先だってもグラビア雑誌や求人誌の休刊が報じられていました。それらの報道には、判で押したように「ネットの影響」と書いてあります。

本当にそうかなあ、内容じゃないの? と常々思っていたところ、本書に出会いました。日垣さんは、もっと厳しく「それはメディアの姿勢の問題」と切り捨てます。つまりメディアビジネスの根本がわかってないと言うのです。

日垣さんは、多様な雑誌群があることで、社会の健全さに寄与する、と主張し、その上で続々と休刊が発生している現状を「雑誌メディアが危機に瀕しているのは確か」と述べています。ではなぜそうなってしまったのか──それを考えるために、日垣さんが用意したのは、次のような問いでした。

新聞の社説は、なぜあんなにつまらないのか。
そもそも、新聞は昔から偉そうな存在だったのか。
情報源を秘匿する意味とは。
雑誌も新聞もなぜ誤報を飛ばしてしまうのだろうか。
名誉毀損裁判の高額化は本当に理不尽なのか。
情を通じて取材し逮捕された人は何を間違えたのか。

日垣さんは、これらの問いを元に、歴史をひもとき、場合によっては海外の事情を紹介しながら考察を加えて行きます。このうち、新聞の歴史に関する記述は非常に興味深いものがありました。たとえば、明治後半から大正にかけて東京で最も読まれていた新聞では、1面に素封家のスキャンダル(妾を囲った)が掲載されていたそうです。しかも住所入りで。当時蓄妾は違法でなかったとはいえ、褒められたものでもなかったということで、こうした記事が好まれたのでしょう。日垣さんは、鴻池副大臣(当時)の女性スキャンダルを例に、「みんなが知りたいのは、『愛人に税金を使ったかどうか』ではない、68歳でなぜモテるのか、だ」と喝破しています。なるほどなあと思いました。

これは、下世話な発想で調べればよい、という主張ではありません。要するに事件の本質を考える頭と、それを裏付ける取材が足りないのだと言うことです。取材とは、官僚の出す文書をありがたく受け取ることでも、大臣にぶらさがって言うことを逐一記録することでもなく、自らの頭で考えて調べることだと日垣さんは言います。これは様々な仕事でも共通する視点ではないでしょうか。

日垣さんはさらに、新聞記者やジャーナリストが、不法あるいは不適切な方法で情報を入手することの問題や、虚言癖のある人物にころりとだまされてしまう問題について言及しています。すべて実話に基づいて語られているので、わかりやすい上に問題点が容易に把握できました。
中でも圧巻は、いわゆる「西山事件」に関する考察です。ともすれば、スクープをものにした元毎日新聞記者をヒーローのように扱う報道も少なくない中、日垣さんは似たような事例を元に一刀両断しています。私はこの件に関して、正確な事実関係を知りませんが、非常に説得力のある説明でした。

私たちは仕事の時、目的のために作業を行いますが、ともするとその作業自体が目的になってしまうことがあります。日垣さんの目には、総理大臣や国務大臣を追い回し、そのコメントをただ流しているだけのメディアの現状が、許し難いものに映っているのでしょう。そうした取材姿勢こそが、有料メディアを死に追いやっているとだと。自らも同業であるだけに、勇気のある批判です。

同時に、手段が目的化しているのは、何もメディアだけではないなあと思いました。私にも共通する課題です。仕事について、大いに考えさせてくれた一冊でした。

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