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2009年11月11日 (水)

著者の責任感

Bunshun書籍を出版するというのは、たいへん名誉なことである一方で、重大な責任を負うことなのだなと感じる出来事がありました。私が愛読している週刊文春の2009年11月12日号のコラムに、ご自身の著作に誤りがあったという内容が掲載されたのです。間違いの中身と、その発生の経緯が詳しく書かれていました。

そのコラムとは「パラレルターンパラドクス」。分子生物学者の福岡伸一さんが担当する、人気コラムです。11月12日号では「恥多き物書き」と題して、およそ次のようなことをお書きになっています。

読者からの手紙によって、自著「生物と無生物のあいだ」に誤りがあることに気づかされた。調べてみると確かにその通り。その記述は、以前何かの本で読んだ内容をもとに、確かめもせず書いてしまった部分だ。
聞けば、これはずいぶん有名な間違いで、かの湯川秀樹博士も同様の間違いを犯しているらしい。Wikipediaの記事では、自著が間違い例として記載されている。こんな恥ずかしいことはない。重版がなったらぜひ直したい。

具体的な間違いの中身については、大変興味深い内容ではありますが、ここではあえて掲載いたしません。興味のある方は、ぜひ本書をご覧ください。

私が感動したのは、こうした、いわば「恥」をカミングアウトする福岡さんの姿勢です。「週刊誌のコラムだから、失敗を書くなんて当たり前だよ」という意見もあるでしょう。けれども今回の失敗は、福岡さんの本業付近で起こっています。つまり、専門家としては相当恥ずかしい出来事です。

  • 分子生物学者として分子レベルの話題で間違えたこと
  • 科学者として「原典に当たる」という基本的姿勢を欠いたこと

こうした事態に遭遇したら、通常なら、公にしたくない、できれば隠し通したいと思うでしょう。たとえ重版で修正するにせよ、内緒でやると思います。少なくとも私ならそうします。
けれども福岡さんは、発表しました。それも何十万部も売れている、超メジャーな週刊誌で。私は、ここに著者の矜持を感じました。学者としての、あるいは物書きとしての。

誰しも、自らの恥は隠蔽したいものです。ほとんどの人が、その隠蔽がばれたときのダメージの大きさも知っています。けれども、人はその一歩がなかなか踏み出せません。未来永劫、隠蔽がばれないと信じたり、そもそも隠蔽などなかったと思い込もうとしたりしてしまいます。先日も大企業による隠蔽工作が報じられていました。個人としても組織としても、人間とは、かくも弱い存在なのだと思わずにはいられません。

そう考えると、福岡さんの強さが身に染みます。このコラムを掲載するにあたり、福岡さんも多少は悩まれたと思います。版元の講談社とも話し合ったことでしょう。けれども最終的には公表しました。私は、福岡さんが仕事において誠実さを大切にしているのだろうと想像しました。「神は細部に宿る」といいますが、人間の本質は、案外こういう所に現れるのではないでしょうか。

自分の生き方、仕事への取り組み方について考えさせられる記事でした。

※この雑誌が、店頭で見られるのは本日までということで、急きょアップさせていただきました。
※この記事に使用した週刊文春の書影は同社のサイトの画像を使わせてもらいました。読んでいるうちに汚くなってしまったので。文藝春秋さん、ごめんなさい。

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