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2010年1月28日 (木)

こんな日本でよかったね

「こんな日本でよかったね―構造主義的日本論」内田樹:著(文春文庫)

最近書店に行きますと、内田さんの本が、目立つ位置に平積みになっています。本当に、どこの書店でもそうです。その上、だいたい毎月1冊は新刊が出ているような気がします。
これはつまり、内田さんが売れっ子作家(教授)ということですが、ひねくれ者の私は、こうなるとあまり読む気がしません。以前やはり毎月本を出し、テレビにも出まくっていた、M大学の先生の本で懲りていましたから。

それほど敬遠していたにもかかわらず、大手書店の平積み攻撃に負けて、うっかり本書を購入してしまいました。そして、これまでの自分の不明を恥じました。

本書を読んだメリットを一言で言うなら、構造主義という考え方を学んだことです。

人間が語る時にその中で語っているのは他者であり、人間が何かをしている時その行動を律しているのは主体性ではなく構造である。

本書の前書きで内田さんは、構造主義をこのように説明しています。わけがわかりませんよね。語っているのはまさに自分なのに、それは他者のなせる業だと言われても、にわかには信じられません。
けれども私には、一つ思い当たることがあります。それは、同僚や友人との会話の中に、本で読んだ内容が出てくるとき。本の中身を語りながら、私は「あ~これはあの本の受け売りだなあ」と思うことがよくあるのです。これなど、私の言葉が私自身のものでない、何よりの証拠です。私が発する言葉は、このブログ記事も含め、これまで読んだ本の再構成に過ぎないのではないでしょうか。
そもそも、本を読んだり買い物に行ったり、鼻くそをほじったりする、という私たちの行為は、すべてこれまでの知識や経験に基づいた再処理であると考えることが可能です。構造主義とはそういうことだと私は理解しました。こういう発想はしたことがなかったので、とても新鮮でした。

この前提を理解した上で、本書の30ほどの評論というかエッセイを読み進めると、自然に頭に入ってきます。といいますか、どんどん次が読みたくなってくるのです。世の中に、「内田ファン」が多いのも頷けます。
とはいえ、具体的な中身が示されないと「内田ファン」の方以外には何の事やら理解できないことでしょう。どれ一つを選ぶのは難しいのですが、第1章の「『言いたいこと』は『言葉』のあとに存在し始める」についてご紹介します。

「言いたいこと」がまずあって、それが「媒介」としての「言葉」に載せられる、という言語観が学校教育の場では共有されている。「作者は何を言いたかったのか」という問いがその典型である。だがそれは適切なのか。
小学校の時初めてエルヴィスを聴いた時、思わず体が震えたが歌詞の意味はぜんぜんわからなかった。でも「湯煙夏原ハウンドドッグ」でも、「来る」べきものはちゃんと「来る」。この歌の歌詞を読んで「エルヴィスは何が言いたいのでしょう」と問うても、まるで無意味なことはだれにもわかる。
強い言葉があり、響きの良い言葉があり、身体にしみこむ言葉があり、癒しをもたらす言葉がある。読み手聴き手の身体を動かしてしまうのが「ことばの力」である。そのような言葉に実際に触れて、身体的に震撼される経験を味わう以外、言語運用に長じる王道はない。言葉によって足元から揺り動かされる経験に比べれば、作者の意図なんてどうだってよい。

以前国語教科書を作っていた身としては、まことに耳の痛い話です。私自身、まさに「言いたいことがまずある」という言語観を持っていました。しかしこのブログをやってみて、そうでもないと言うことは実感的に分かります。過去の自分の記事を読んで、「そりゃ、違うんじゃないの」と思ったり「ほほう、なるほど」と思ったりしたことは一度や二度ではありません。もし文章に「作者の言いたいこと」が固定的に潜んでいるのなら、私の文章が稚拙であることを差し引いても、そういうことはあり得ないはずです。
それにしても「湯煙夏原ハウンドドッグ」という表現(説明)はうまいなあと思います。思わず大笑いしてしまいました。このあたりも「内田ファン」が増える理由なのでしょうね。

本書は内田さんの人気ブログ「内田樹の研究室」を再構成した本とのこと。このブログの記事内容は、盗用剽窃自由なのだそうです。その説明を読んだ時、最初は面食らいましたが、本書を読んだ後だと理解できます。過去の自分と現在の自分は同一でないという構造主義的立場ということもありますが、こうした文章はおそらく内田さん以外は書けないからです。こうした唯一無二性を獲得して行くことが、表現したり論評したりするためには必要なことなのだろうなと思いました。

いずれにしても、読んで得した気持ちになれた一冊でした。

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コメント

おはようございます。
TBさせていただきました。
国語教科書をつくられていたとは。
内田樹センセイ本の初読みとは、
これから読める本が三十数冊あるということですよね。
ある意味非常にうらやましいです。
私は、『下流志向』でがっつんとやられて以来のファンなのですが、知識を授けてくれるだけでなく、体に活力を与えてくれる、なかなか得難い大切な師匠です。

投稿: 時折 | 2010年1月29日 (金) 06時15分

本文では「内田ファン」と書きましたが、気持ちを正確に言うなら「内田病」ですね。私も立派な患者です。

「面白かったけど、はまらないぞ」とあれほど思ったのに、本書の最終章のタイトルにもなっている「日本辺境論」買ってしまいましたweep

投稿: むらちゃん | 2010年1月29日 (金) 07時58分

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