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2010年1月25日 (月)

サヨナラ、学校化社会

「サヨナラ、学校化社会」上野千鶴子:著(ちくま文庫)

読書の意義を一つ挙げるとしたら、「今までの自分にない発想を獲得する」というのがあります。とはいえそれは、結果的にそうなるということです。本選びの時に考えるのは、「面白そうかどうか」だけであり、「役立ちそうだな」とか、「新たな発想を与えてくれそうだぞ」と思って購入することは、まずありません。

本書を読んでみようと思ったのは、「老いる準備」を読んだのがきっかけです。上野さんに対する認識を新たにし、発想の仕方に興味を持ちました。何かもう一冊上野さんの本を、と思って購入したのが本書です。

東京大学の先生である上野さんは、本書の冒頭で東大生の気質を分析して見せながら、大学教育の問題点について、次のように指摘します。

確かに東大は人材を輩出しているが、それは教師やカリキュラムが良いわけではない。あるのはピア(同輩集団)の教育力だけ。これで育つのはごく一部。多くを育てようと思ったら、タネと仕掛けを作り、手を引っ張って「失敗してもいいからやってみようよ」と言わないとダメなのだ。

なんだか、大学の先生らしからぬ、教育学部の学生が読む教科書に書いてありそうな主張です。実際本書には、上野さんが行った「タネと仕掛けを作り、手を引っ張って」行った「フィールドワーク」の様子が紹介されています。まるで総合的な学習のような活動です。大学生の反応は「こんな楽しい授業は初めて」とのことでした。
優れた小学校の先生なら、「フィールドワーク」のような授業は、常識的になさっていることでしょう。しかし、多くの学生には「初めて」と感じられたそうです。これはつまり、大学の授業がつまらないということだけでなく、小中学校においても、総合的な学習が機能しておらず、活動強制型、講義型の教え込み授業が、まだまだ主流であることを示しているのではないでしょうか。これについて、社会学者らしく、次のような書き出しで解説を始めます。

学校はなぜ試行錯誤を子どもや若者に許し、彼らが失敗から学んで育つ場所とはなっていないのでしょうか。それは、近代における学校の機能が、べつのところにあるからです。

近代における学校の機能が、べつのところにある」とは穏やかではありません。上野さんは、それは、民主主義社会において社会の階層化を正当化するという機能である、と説明しています。
若干疑問の残る論旨ではありましたが、一方で「はっ」とする視点でもありました。階層化を安定化させるためには、価値は一元化する必要があるため、多様性は排除の方向に向かうというわけです。学力偏差値や、テストの点数が、人間の尺度として相変わらず高い信頼性を得ているのはそういうわけなのか、と納得できます。同時に、多様性を認めようとする生活科や総合的な学習が根付かない理由もよくわかりました。
詳しくはぜひ本書をお読みいただければと思います。納得できるところとできないところについてコメントがいただければ幸いです。

こうした硬直した学校の尺度が、学校以外の様々なところに広がっていることを、上野さんは「学校化社会」と呼んでいます。学校制度を経験した世代が親になり、祖父母になるうちに、学校ばかりか、会社でも、主婦の集まりでも、町内会でも多様性が排除され、社会全体が「学校化」してしまった、というのです。
確かに政治家など権力者は、「親孝行は美徳」「頑張った人は必ず報われる」といったニュアンスのことをよく言います。意識的になされている発言かどうか、定かではありませんが、まさに「学校化」された言辞です。そして頑張っても報われない現実は隠蔽されてゆきます。なるほどなと思いました。

「民主主義社会にも階層化が必要になる」というのは、建国間もないアメリカをつぶさに研究したフランスの政治家が書いた本で、すでに指摘されているそうです。つくづく人間は、歴史から学ばない、賢くなれないものだなあと思います。
新たな発想を獲得するとともに、歴史を学ぶ重要性について考えさせられました。

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コメント

「学校化社会」は、1970年代から言われていた言葉です。今更そんな言葉を持ち出されても、困惑以外の何ものでもありません。

投稿: yrr | 2010年1月25日 (月) 22時46分

yrrさん、コメントありがとうございました。
そうですか、そんなに以前から言われていたのですね。上野さんも、19世紀の論文を引用されているくらいですから、古くて新しい問題なのかも知れませんね。

投稿: むらちゃん | 2010年1月25日 (月) 23時51分

おはようございます。
TBさせていただきました。
そもそも学校の質に問題がある以上、社会の学校化が問題だというのは、学校で生きている私からみても納得できることです。しかしながら、上野千鶴子は80年代から追いかけてきた「先生」なのですが、最近、何だかうまく読めないと感じていました。『おひとりさまの老後』などすぐ買って読み続けられませんでした。その好戦的な姿勢がイタく感じられます。

投稿: 時折 | 2010年1月26日 (火) 08時17分

時折さん、コメントありがとうございました。
>> その好戦的な姿勢がイタく感じられます。
なるほど。
私はむしろ、最近好戦的な感じが少なくなってきていると感じるのですが。
評論としてではなく、エッセイとして読むと、それなりに楽しむことができます。ぼくも年を取ってゆとりが出てきたからかも知れませんが(笑)。

投稿: むらちゃん | 2010年1月26日 (火) 12時08分

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再読に堪えた。 内容(「BOOK」データベースより) 93年、東大に移ってきた上野先生は驚いた。なんて素直な、課題を効率よくこなす学生なんだ、と。そして怒り心頭に発した。レポートがどれも講義の要約だったからだ。…「国民」を育てる近代装置である学校。変革の時代にこ...... [続きを読む]

受信: 2010年1月26日 (火) 08時11分

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