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2010年4月15日 (木)

新書の編集について思う

Hhum

先日「科学文明に未来はあるか」の記事で、戦争体験と言論ということについて考えさせられたことについて書きました。そのこと自体は、もちろんとても大きな事でしたが、実はもう一つ考えさせられたことがありました。

それは本の作り方。といっても造本の話ではありません。編集の話です。
この本の「はしがき」には、出版の経緯というかきっかけが書かれています。

こんな対談をしたきっかけは、1979年アメリカのスリーマイル島で原発事故があった時に、市民の立場から原子力問題をどうとらえるかについて書くようにと、雑誌「科学」編集部に依頼された時にさかのぼる。

このように、編集者の発案に則って、作家が文章を書いたり対談したりして本になる、というのは本の創られ方として、ちょっと例外的な感じを受けるのではないでしょうか。しかし、実際にはこれに似たような経緯でできている本は、非常に多く存在します。私が感動したのは、実はこの部分ではありません。「はしがき」には、続けて次のように書いてありました。

科学に'82年の一月号から十二月号までほぼ隔月に連載したが、今回一冊にまとめるに際し、先生方にお願いし、対談の収録をし直したり、時間経過にたえられるよう手を加えていただきもした。

これが事実であることは、本書を読めばわかります。各章の終わりの発言は、対談の中身を総括しながら、方向性や課題を明らかにしていました。「はしがき」を読むまでもなく、この部分だけ見ても、丁寧に作られた本であることが分かります。
新書ブームと言われて久しいですが、現在これほどまでに手をかけて出版されている新書があるでしょうか。雑誌の連載をそのまま本にしたもの、同一著者があちこちの雑誌や新聞に書いたコラムを無理矢理一冊にまとめたもの、テーマだけ考えてあとは作家に丸投げしたものなど、近頃の新書は、粗製濫造と言われても仕方がないような部分が確かにあります。

そしてそれはもしかすると、新書だけではないのかもしれません。近頃は、やれ本が売れないだの、ソフトが売れないだのと言われますが、それは果たして買うに値する商品なのか、ということです。売れないのは商品が悪いからに他なりません。それなのに、「日本人の本離れ」などと、まるで顧客が悪いと言わんばかりの主張をする人さえいます。
これでは、良い本が創られるはずがありません。良いソフトもできません。

昔の仕事がすべて良かったなどと言うつもりは毛頭ありませんが、過去にはこれだけの手間をかけて本を創っていたのは事実です。「出版点数が違うよ」という人は、日本の製造業のコストダウンの取り組みを学ばねばなりません。0.1円のコストを削減するために、どれだけの知恵と労力を費やしていることか。

約30年前の本を読んで、仕事への取り組み方についても考えさせられました。

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コメント

桜の花の下での、夜の隠微な会話があったおかげで、このブログ記事の内奥に隠されているものがよくわかりました。「エディターシップ」というものは、さまざまなところで、ひょいと顔を見せるものですね。

投稿: やぶさか | 2010年4月19日 (月) 23時38分

やぶさかさん、その節はお世話になりました。
「内奥に隠されたもの」などといった高尚なものはございませんがcoldsweats01、やぶさかさんとのお話しの中で、いろいろな刺激をいただくことができました。ありがとうございました。

投稿: むらちゃん | 2010年4月20日 (火) 08時11分

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