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2010年5月24日 (月)

対岸の彼女

「対岸の彼女」角田光代:著(文春文庫)

またもや角田さんの作品を読んでしまいました。同一の作家に入れ込むことは最近では珍しいことです。原因は、明らかに「空中庭園」の巻末に掲載された石田衣良さんの解説。

ご存じのように「対岸の彼女」で、角田さんは第132回直木賞を受賞している。こちらは三十代の女性同士の友情が主題なのだが、基調は遥かに明るく、結末にも希望がある。「空中庭園」の乾いた絶望と新たな代表作のしっとりとした希望。この店長の鮮やかさを味わうためにも、ぜひ二冊をあわせて読んでもらいたい。

空中庭園」を読んだ時点では、石田さんの言う「乾いた絶望」というのは、いまひとつぴんと来なかったものの、本書を読み終えた今、本書の「しっとりとした希望」という捉え方とともに実感できました。とはいえ、実際のところテーマは絶望でも希望でも良いのかもしれません。通常小説では、登場人物の身に降りかかる出来事が気になって読み進めることが多いですが、本書の場合、出来事ではなく意識や感情が気になるように出来ているからです。角田さんは、人と人とが関わり合う中で抱く様々な感情を、具体的な動作に置き換えて、切り取って見せて見せてくれます。たとえばこんな具合。

葵だけを乗せてタクシーがふたたび走り出す。意志や感情とは関係なく、どこかのスイッチを押してしまったように、いきなり葵の両目から水滴がこぼれ落ちた。父に気づかれないよう、不自然な格好に体を折り曲げ、泣いている顔がルームミラーに映らないようにした。涙は止まらず、次から次へと頬をつたい、さっきナナコとつないでいた手にほとほと落ちる。てのひらには、ぽっかりと空白が残っていた。

これは、親友同士である葵とナナコの別れのシーン。タクシー運転手である父親の車の中で、葵が悲しみに浸る姿が見事に描かれています。
本書のメインは、女社長の葵と、そこで働く主婦の小夜子の物語ですが、間に葵の高校時代の話が挿入されています。ナナコとの友情は、この挿話の中で描かれています。そしてその両話が見事に重なり合うラスト。本当に小説を堪能した気分になれました。

堪能できるのは、小説だけではありません。本書は、巻末の解説がまた秀逸なのです。作家の森絵都さんが書かれた解説は、作品を巧みに振り返りながら、読者が心動かされたわけを、まるで博物館の学芸員のように鮮やかに解説してくれます。本来は読後に読むべきですが、そのすばらしさをお伝えするために、一部をご紹介しましょう。

葵とナナコのあいだに芽生える友情。(中略)高校時代の自分を憶えている人ならば、まるで駆け落ちのように手と手を取り合って自分たちだけの世界へ逃げ込もうとする二人に心を重ねずにいられないはずだ。(中略)当時の友だちづきあいをふりかえると、なぜあんなにも疎ましいほどに濃密な関係に耐えられたのだろうと怪訝に思う一方、なぜあんなにも必要としていたその濃密さを卒業と同時に失うことができたのだろうと不思議にも思う。
「私たちの世代って、ひとりぼっち恐怖症だと思わない?」
三十五歳の葵が小夜子に語るその言葉は、かつて私たちが抱いていた共通の幻想が集約されている気がする。

本作のキーワードとなる女性の友情、特にその濃密さとドライさ、別離への恐れなど複雑な感情が見事に整理されて紹介されています。同時に、まさに今濃密な時を過ごしている中高生が本作を読んだとき、いったいどんな感想を持つのだろうかと思いました。
作品と解説でこんなに楽しめる文庫本は、近頃そうはありません。本当にお得な一冊です。

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コメント

コメントとトラックバックありがとうございました。
私もナナコが強く印象に残っています。

ハードカバーで読んだので解説はありませんでした。
森絵都さんならチェックしないわけにはいきませんね。

またおじゃまさせていただきます。

投稿: きたあかり | 2010年6月 5日 (土) 20時20分

きたあかりさん、コメントありがとうございました。
ブログを拝見すると、本作のハードカバーが発売された直後くらいにお読みになったようですね。森さんの解説は、立ち読みするにはちょっと長めですが、本当に一読の価値ありです。こういう取り合わせを考えた編集者に脱帽します。

投稿: むらちゃん | 2010年6月 5日 (土) 21時44分

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