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2010年5月19日 (水)

創るセンス工作の思考

「創るセンス 工作の思考」森博嗣:著(集英社新書)

ビジネスの現場でも教育の現場でも、もの作りの大切さに異を唱える人はいないでしょう。けれどもそこで言うところの「もの」とは一体何か? となると、たちまち議論が百出します。たとえば「ソフトウエア開発はもの作りと言えるのか」という問いに対しては、是非が相半ばするのではないでしょうか。
こうした「総論賛成、各論反対」が起こる理由は、「もの作りがなぜ大切なのか」という合意がなされていないからです。それが本書を読んでよく分かりました。

本書の冒頭、森さんは私たちが技術に対して抱きがちな誤解について、次のように指摘しています。要約してご紹介しましょう。

文系の人間は、技術者に対して「君たちの仕事は、何でも計算通りいくだろうけれど、私たちは人間を相手にしているのだ。そんなに簡単にことは運ばないよ」と言う。工学に対する一般的な認識は、このような誤解の上に成り立っている。しかし
  どんな物体であっても、計算通りにものが出来上がることは奇跡だといって良い。
最初に作る人間は、必ず何らかの問題に直面し、自分でばらつきを体験し、乗り越えている。技術というのは、このような自然のばらつきを知ることであって、人間や生物を扱うこととまったく同じなのだ。

確かに私たちは、もの作りの際に計算したり設計したりすることと、実際に作ることをつい混同してしまいます。しかし両者が違うことは、ものを作った経験のある人なら容易に理解できるはずです。森さんは、そうした違いを理解できる力のことを「技術的センス」と呼んでいます。もの作りの危機は、まさにこの技術的センスが失われようとしていることなのだと。

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そしてこの技術的センスを育てるには、作る体験を積み重ねるしか方法はなく、そうした積み重ねの根源になっているのが「好奇心」であると述べています。この関係を図式化すれば、左の図のようになるでしょうか。

ではその好奇心を身につけるためにはどうすればよいか。森さんは次のように書いています。

好奇心というものは、育てる必要など無いと僕は個人的に考えている。小さいときほど子どもは好奇心旺盛である。それが成長するほど「あれしろ」「これはするな」と抑制される。好奇心は、教育すればするほど失われるものと言える。だから、もし好奇心を本気で育てたいなら、教育を止めるべきだ。教育という行為自体が「アンチ好奇心」的な操作なのである。教育者はここに気づくべきだ、と僕は思う。

この部分を読んで、小学校に生活科が創設された際、教育学者の森隆夫先生がおっしゃっていたことを思い出しました。

生活科の活動では、何かを教えてはいけない。活動に没頭させることが重要なのだ。遊びなら遊びに没頭させる。そこから彼らは何かを学ぶ。

確かこのような内容だったと思います。当時生活科教科書の編集者だった私は、この意味がまったくわかりませんでした。けれども、今は理解できます。これは教育という行為の否定ではなく、教えない教育もあるのだと言うことでしょう。ですから本書では、もの作りに没頭する大人の背中を見せることが大切である、と何度も書かれています。もの作りが好きな子どもを育てたいなら、まず自分がそうなること、リスクにきちんと対処できる技術者を育てたいなら、まず自分がそうなる努力をすることが大切なのです。耳の痛い話ですが、それを実践されている森さんの言葉だけに説得力がありました。

森さんは、工作することだけでなく、作曲したり文章を書いたりすること、写真を撮るということさえもの作りであると言います。確かにこれらはすべて「創作活動」と呼ばれますし、苦吟しないとよいものは生まれませんし、たいてい構想した通りにはできません。確かにもの作りと同じです。工作と文章生成が同じ構造を持っているなど、これまで考えたこともありませんでしたが、そういう視点も大事かなと思います。「つくること」全般について考えさせられた一冊でした。

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