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2010年6月28日 (月)

パラサイト・イヴ

「パラサイト・イヴ」瀬名秀明:著(新潮文庫)

もう何度も書いております通り、私にとって文庫本の楽しみの一つは、巻末の文章を読むことです。もちろん本によっては存在しないこともありますが、多くの場合それは「解説」として存在し、作品を読み終わった読者をもう一度楽しませてくれます。

このように書いてくると本書にはすばらしい解説がついているようにお感じになるかも知れません。しかしごめんなさい、本書に解説はないのです。それなのに、なんと巻末部分が60ページもあります。

事故で亡くなった愛妻の肝細胞を密かに培養する生化学者・利明。Eve 1と名付けられたその細胞は、恐るべき未知の生命体へと変貌し、利明を求めて暴走をはじめる──。空前絶後の着想と圧倒的迫力に満ちた描写で、読書界を席巻したバイオ・ホラー小説の傑作。新装版刊行に際して、発表時に研究者でもあった著者から、科学者あるいは小説家を志す人達に贈る、熱いロングメッセージを収。

以上は表4記載のあらすじです。物語の筋の他、巻末の文章にこれだけ言及されている「あらすじ」も珍しいのではないでしょうか。
巻末の60ページは、参考文献一覧や生化学用語の解説はあるものの、ほとんどは、この新潮文庫版にのみ掲載された、瀬名さんからのメッセージです。私自身は「科学者あるいは小説家を志す人達」だけでなく、出版社の人たちや、本好きの人たちも対象になっているとは思いますが。
新潮文庫版あとがき」と題されたこの文章は、当初瀬名さんの自伝的内容で始まります。作家を目指そうと思ったわけ、日本ホラー小説大賞への応募と受賞といった、穏やかな話題です。それが単行本刊行と寄せられた批判とそれへの考察、といったあたりから文章が熱くなり始め、DNAの専門家から寄せられた批判を軸にした、「科学とエンターテインメントの境界」の話題になると、その熱さは最高潮に達します。「小説とは」「わかりやすさとは」「科学とは」──。提起された問題の深さと普遍性、その提起の仕方とまとめ方、これだけで1冊の新書にしても良いほどの文章です。
「パラサイト・イブ」刊行後12年を経て、静かに書き始められたこの文章は、上記のような熱い問題提起の後、静けさを取り戻し、次のような文章で結ばれています。

いまでも時折、読者の方から「『パラサイト・イブ』を読んで、大学で生命科学を専攻することに決めました」といった手紙をいただく。このようなときがいちばん嬉しい。
ノンフィクションはその時代を動かす。だが小説は100年後の未来を動かすのだと、私は思う。

この「静→動→余韻」という文章構成は、「パラサイト・イブ」のそれと同じです。もっとも、本とは説明が逆で、「あとがき」だからこそ、作品の構成を踏襲したのだとは思いますが。
このように構成が印象に残っているのは、本作の場合「動」の部分のスピード感がすばらしいからです。特に「未知の生命体」が、人々に見える形で暴走を始めるあたりの描写は、息をも吐かせぬスピード感でした。
そして余韻がたっぷり詰まった、物語のエンディング。「生命はこれからも私たちにとって道の存在であり続けるのだよ」といったメッセージのようにも感じました。

瀬名さんは、「亡くなった妻の肝細胞が未知の生命体へと変化し暴走する」という、荒唐無稽に見える話にリアリティを持たせるため、生化学的な背景を詳しく述べたり、学術用語を多用したりしています。これは、映画で言えば撮影の舞台を映らない部分まで精密に作るという作業と同じようなことだと思いました。一見無駄に見えることだけれども、物語としての真実を伝えるには必要な作業なのです。
にもかかわらず、「パラサイト・イブ」刊行直後には、「知識をひけらかしている」「理系知識で文系の人間を欺いている」といった批判があったという(「あとがき」には出典も明記されています)のですから驚きます。

筒井康隆さんの「時をかける少女」くらいぶっ飛んだ設定ならだれも文句は言わないけれど、瀬名さんのように、科学的事実の上にほんの少しの虚構を載せるという表現手法は、当時とても斬新だっただけに、「専門家」たちの心象のある部分を刺激してしまったのでしょう。こうした議論は、小松左京さんの「日本沈没」が上梓されたときにも巻き起こったような気がします。
こうした残念な「現象」は、もしかするとまだ過去形では語れないのかも知れません。しかし「チームバチスタの栄光」のように、専門知識に虚構を重ねるという手法は、今後さらに一般的になっていくような気がします。そういう意味で、瀬名さんの小説は、100年後ではなく十数年後を動かし始めているのではないかと思いました。

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コメント

いのちゃんです。九段下の飲み屋では大変お世話になりました。パラサイトイブは私も読みました。私としては珍しく新刊で読みました。読後感としては、「めまい」を覚えたとしか、今は思い出せません。これからもちょくちょく寄らせて頂きます。ダイエットがんばってください。2桁体重を!

投稿: いのちゃん | 2010年7月 5日 (月) 00時17分

いのちゃんさん、こちらこそ本日はお世話になりました。
本作の新刊というと、約15年前ですね。そのときの「めまい」をいまだ覚えておられるというのは、きっと本作の力なのでしょうね。

投稿: むらちゃん | 2010年7月 5日 (月) 00時54分

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