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2010年7月14日 (水)

人民は弱し 官吏は強し

「人民は弱し 官吏は強し」星新一:著(新潮文庫)

最相葉月さんの「星新一 1001話を作った人」を読んだとき、本書の存在を知りました。星さんが、父上であり星製薬創業者である、星一(ほしはじめ)を描いた作品です。
ニヒルなユーモアを込めたショート・ショートを多数書かれた星さんのことですから、本書もてっきりブラックユーモアが込められた作品かと思っていました。明治時代風のタイトルも、そんな雰囲気を醸し出しています。

しかし、その予想(期待)は見事に外れました。そんな甘い本ではなかったのです。

明治末、12年間の米国留学から帰った星一は製薬会社を興した。日本で初めてモルヒネの精製に成功するなど事業は飛躍的に発展したが、星の自由な物の考え方は、保身第一の官僚たちの反感を買った。陰湿な政争に巻きこまれ、官憲の執拗きわまる妨害をうけ、会社はしだいに窮地に追いこまれる……。最後まで屈服することなく腐敗した官僚組織と闘い続けた父の姿を愛情をこめて描く。

表4のあらすじには、以上のように書いてありました。しかし、少なくとも私には「愛情をこめて描」いているようには感じられませんでした。国益よりも自尊心と私利の充足を尊ぶ官僚や政治家の姿が、繰り返し描かれています。へこたれずに頑張る星一に、彼らはさらなる圧力をかけ続ける、という救いのない構成です。そして漂う、日本という国への諦念。「憎悪と諦念」本書のキーワードを挙げるとすれば、まさにこの言葉しか見当たりません。

本書の解説を書いておられる鶴見俊輔さんは、幼少の頃、母方の祖父の家へやってくる星一さんを何度か見かけたことがあるそうです。それゆえ、この解説では、本作の解説と言うより、少し広い視点に立った、星一さんと星新一さん親子の評論になっています。とりわけ次の一節が、星一さんの人柄を的確に表しているように感じました。

明治以前もそうだったであろうが、明治以後も、商才は、政治力、とくに政府を動かす官僚と結びつくことなしにはこの国では安定した力を発揮することができない。しかも、星は、政治の領域において、負け犬を兄貴分としてえらんでしまったのだから、成功するわけがない。
しかしその信念そのままに、口笛ふいて生涯をわたったところに、この世で成功した人びとをこえる、さわやかな風が吹きわたるという印象をのこした。

そう、本書からは書き手である星新一さんの怒りは感じられるものの、主人公である星一さんの怒りや憎悪は、ほとんど描かれていないのです。どんな逆境にあっても、自らの信念を曲げず、誠実に働いた人。これが、本書に描かれた星一像です。もちろん、息子の視点による文章ですから、多少の誇張はあるでしょう。ですが、それを差し引いても、商才と人格を併せ持つすぐれた経営者だったのだと想像できます。

そしてまた興味深いのは、鶴見さんが「負け犬」と書いている政治家、後藤新平氏のことです。本書に何度となく名前の出てくる方ですが、なんと後藤氏こそ、鶴見さんの母方の祖父。つまり鶴見さんは、自らの祖父を「負け犬」と評し、それがために星氏が冷遇されたのだというのです。このあたりに、鶴見さんの評論家としての矜持と官僚組織に対する諦念を感じました。

ソニー、パナソニック、トヨタ、ホンダ、新日鉄などの例を出すまでもなく、日本のトップ企業は、どの分野でも世界のトップ5には入っています。けれども製薬業界だけは、日本のトップ企業が世界のトップ10にすら入っていません。このことは、官僚と政治家と業界が手を組んで、星製薬を抹殺したことと無関係ではないのではないか──本書を読んで、私はこんなことを考えました。
すぐれた製品を生み出そうと企業努力を重ねるのではなく、策を弄して競合相手をおとしめるような業界では、成長しようはずがありません。

物語の構成や描き方は素晴らしいのに、いやそれゆえに読後感は極めて悪いという、非常に変わった本でした。もっとも、そこが星さんのねらいだったのかもしれません。本書のタイトルは、作品の結びの言葉と同一です。衰弱しきった星一の言葉として描かれています。このエンディングは、「これは何も昔の話じゃありませんよ」という星さんのメッセージのように思えました。

いずれにせよ、様々なことを考えさせられた一冊でした。

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