« 模倣犯2・3 | トップページ | 模倣犯5 »

2010年8月23日 (月)

模倣犯4

「模倣犯4」宮部みゆき:著(新潮文庫)

第4巻からは、「第三部」。この作品の佳境を迎えます。前回も書きました通り、第二部で、読者は犯人とその犯行の様子をすべて知っています。ですから第三部は、警察やマスコミがどうやって事件の真相に迫るのかを描いています。

この過程で一躍トリックスターとして輝きを増すのが、ルポライターの前畑滋子。第三部のヒロインと言ってもよいかもしれません。第4巻のストーリーは、彼女の書いた事件のルポが掲載されている雑誌が、あまりの人気のために入手しにくくなっている、という場面から始まります。

特捜本部は栗橋・高井を犯人と認める記者会見を開き、前畑滋子は事件のルポを雑誌に連載しはじめた。今や最大の焦点は、二人が女性たちを拉致監禁し殺害し たアジトの発見にあった。そんな折、高井の妹・由美子は滋子に会って、「兄さんは無実です」と訴えた。さらに、二人の同級生・網川浩一がマスコミに登場、 由美子の後見人として注目を集めた──。終結したはずの事件が、再び動き出す。

第三部の話は、高井の妹・由美子による「兄は無実」という主張が正しいのかどうかが軸となっています。むろん読者は正解を知っているわけですが、警察もマスコミも前畑滋子も知りません。その推理と検証の過程がスリリングに読ませます。
そして事態をさらに複雑にしているのは、「樋口めぐみ」の存在。彼女は、塚田真一(1巻の記事でご紹介)の家族を惨殺した強盗犯の娘です。「父は真一のせいで犯罪者にさせられた」という勝手な思い込みから、真一にしつこくつきまとい、父への謝罪を迫ります。

この高井由美子と樋口めぐみ。行動の合理性という点では正反対なのに、家族の無実を信じて過激な行動をしてしまう、という点では同一であり、それは傍目にはとても身勝手な行動に写ります。犯罪という事実は一つなのに、その周辺の人たち(被害者と加害者の家族、世間、マスコミや警察)は、その立場ごとに勝手な解釈をしてしまうのです。これについて宮部さんは、警察官の武上に、部下の篠崎を叱る場面で、次のような台詞を言わせています。

いいか、よく覚えておけ。人間が事実と真正面から向き合う事なんて、そもそもあり得ないんだ。絶対に無いんだよ。もちろん事実はひとつだけだ。存在としてはな。だが、事実に対する解釈は、関わる人間の数だけある。だから、事実には正面もないし裏面もない。みんな自分が見ている側が正面だと思っているだけだ。所詮、人間は見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じないんだよ。

そしてこの事件の取材を進める前畑滋子にも、この問題は襲いかかります。「彼らがなぜこうした犯罪に手を染めたのか」について、「犯罪によってしか事故を満足させられない人間が一定の割合で発生する先進国病」である、と考えた直後、次のように激しい自己嫌悪に襲われるのです。

あたしったら、なんてバカなことを考えるんだろう。これは犯罪者の”動機”じゃない。人を殺人や破壊行為に駆り立てるエモーションじゃない。これは──これは──説明だ。分類だ。解釈だ。起こってしまった事件を、現代の事件史や風俗史のなかに収めるときに、ファイルの背表紙に貼るレッテルだ。

我が国では大きな犯罪が発生すると、新聞もテレビも報道はそれ一色になります。そして様々な「ジャーナリスト」たちが「事件解明のため」「再発防止のため」と称して、取材を繰り返すのです。時に被害者の心をかき乱し、加害者の家族を傷つけながら。
この作品は、そうした「取材」や「解明活動」にどのような意味があるのかを、私たちに問いかけます。同時に、それらが本当に再発防止に役立つのか、についても。

こうした主張を展開するには、事件の詳細、特に登場人物の背景を丹念に描かねばならず、そのためにこれほどの大長編になったのだと理解しました。第三部はこの物語を貫く事件の謎解きであると同時に、宮部さんの問題意識のようなものの輪郭が見えてくる部分です。
物語は、こうした多数の宿題を抱えたまま、最終の第5巻へと突入して行きます。

|

« 模倣犯2・3 | トップページ | 模倣犯5 »

小説・文学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29188/49161023

この記事へのトラックバック一覧です: 模倣犯4:

« 模倣犯2・3 | トップページ | 模倣犯5 »