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2010年9月 8日 (水)

ロック母

「ロック母」角田光代:著(講談社文庫)

空中庭園」で家族の描写と構成力に舌を巻き、「対岸の彼女」にて、女性の友人関係のリアリティと説得力に驚愕した私は、一気に角田ファンとなってしまいました。次はどれを読もうかと考えていたとき、文庫の新刊コーナーに本書を発見。未収録作品を含め、7つの話が収録されているとのこと。「おお、新刊!しかも短編集だ」ということですぐに購入して読み始めました。

ところが冒頭の短編で未収録作品だという「ゆうべの神様」を読んだとき、なんというか消化不良感を感じました。いつもの満腹感とでも申しましょうか、読後の満足が感じられなかったのです。それゆえ、本書は2作品目以降を読むことなく、しばらく鞄に入れたままにしておりました。

このまま読まないのももったいない、と思ったので、先日消極的な気持ちで読み始めてみたものの、しばらく感情移入できない状態が続きました。2作目の「緑の鼠の糞」は、バンコクの蒸し暑い情景の描写はうまいなあと思ったものの、全体としては「ん?」という感じでしたし、3作目の「爆竹夜」は、男性主人公という珍しさがあり、彼が上海で着想したいたずらはなかなか面白かったものの、男の心理や生理が描けていないなと感じてしまいました。
いずれも角田さん特有の「毒」のようなものは健在であっただけに、読みながら、「こんなことを感じてしまう自分は、なんと尊大なヤツなんだ」と自省したり、「何か重大な読み落としをしているのではないか」といった不安を覚えたりしました。

それが、表題作の「ロック母」あたりから面白くなり、本書末に配置された、「父のボール」「イリの結婚式」の2作品は落ち着いて読むことができました。特に「父のボール」は、個人的には「ロック母」よりも気に入っています。やはり、「娘と父」の関係の方が、「娘と母」よりも文学になりやすいのでしょうか。
それにしても、この短編集の「とっちらかり感」は、どうしたものだろう、という思いは消えませんでした。あちこちの連載を無理矢理1冊に押し込めた、やっつけ仕事のような感じも受けなかったので、ことさら不思議な気持ちがしたのです。

このもやもやした気持ちは「あとがき」を読んで一気に氷解しました。ほんの5ページに過ぎないこの「あとがき」には、「本書を読んで良かった」と思わせる説得力がありました。

この短編集には、92年から2006年までに書いた小説がおさめられている。これほど時間差のある小説をまとめて本にするのは、私にははじめてのことで、あっちをうろつき、引き返し、さらに迷い、今度はこっちをうろうろするような、頼りなげな足跡が、おもしろいほどくっきりと浮かび上がっているのではないか。とくに二十代のころに書いた小説の、拙いと今思う部分、気に入らない部分を全部なおしたら、ずいぶんすっきりするだろうと思ったが、それではうろつく足跡が消えてしまう。そう思って気がついた。私はこの、迷える足跡をこそ、一冊の本にまとめたかったのだ。

つまり本書の特徴をまとめると、「作風の彷徨の足跡」とでも言えるでしょうか。私には、角田さんが言うように「頼りなげな足跡がくっきりと」と読み取ることはできませんでしたが、それでもおっしゃる意味はよく分かりました。私たち読者は、作家を、それも好きな作家ほど一定普遍の存在として位置づけてしまいがちです。けれども作家も人間である以上、変化し、成長して行く存在なのでしょう。あたりまえと言われてしまえばそれまでですが、それを改めて認識できたことに、素直に感動しました。
角田さんはこの点についても、言及しています。

読み手としてだけ小説と関わってきたときは、一編の小説というものはそれで完結していて、なおかつ不変なのだと思っていた。しかし書き手として関わってみて、いや、そうではないと思うようになった。二十歳の自分が私のすべてではないように、一編の小説はそれだけでは完結していない。そしてやはり人と同じように、小説も年をとったり、すがたかたちを変えていく。この短編集で、そんなことも読み取っていただけたらとてもうれしい。

そう、本書は、文庫版短編集という体裁を持った、作家論・作品論なのです。「あとがき」を読んで初めて成立する書籍なのです。そういう意味では、新書と似たような立ち位置の本なのかもしれません。
いずれにしても、小説や作家との新しいつきあい方を学んだ一冊でした。

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