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2010年9月13日 (月)

街場のメディア論

「街場のメディア論」内田樹:著(光文社新書)

本書は、あちこちの書店で山積みになっているので、お読みになった方も多いことでしょう。実際アマゾンのランキングでも常に上位をキープしています。内田さんの「街場の~」本は、読みやすい割に独特の切れ味を保っているためか、「アメリカ論」「中国論」「教育論」とシリーズ化されており、本書はその4作目。

アメリカ論」も「教育論」も買ったまま読んでいなかったため、本書が出たときも「まずは前作を読んでから」と自戒していたにもかかわらず、まえがきを立ち読みしていたら、どうしても読みたくなってしまいました。それは次の部分を読んだからです。

メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調である。(中略)メディアの不調と僕たちの知性の不調が同期的であるとすれば、まる他人事について語るように、鳥瞰的な立場から「現代メディアは……」というようなことが軽々に言えるわけがない。(中略)メディアについて批判的に語ると言うことは、何よりもまず、現にメディアを通じて定型化・常套句化しているメディア批判の言説から一歩離れて、軽々にそれを繰り返さないということです。

太字の部分、本書では傍点が振ってあります。ブログでは傍点が再現できないので太字にしてみました。帯にも掲載されている、本書のキーワードです。メディア批判の書籍や言説はこれまで比較的読んできた方だと思っていますが、自分たちの問題、それも「知性の不調」という主張は初めて目にしました。「日本辺境論」もそうでしたが、内田さんは冒頭にこうした独自のテーゼを示し、読者を驚かせるのが得意だなあと思います。

そしてもう一つ驚くのは、本書が「将来メディアの世界で働きたいと考える学生」に向けた講義を元にしている、ということです。メディアを志望する学生に対して否定的なことを説明するのが難しいからではありません。良くも悪くもメディアにどっぷり浸かっている学生たちに、問題の所在を理解させるのは、そう簡単な作業ではないだろうと思うからです。しかも少人数ゼミならともかく、講義で行うとなれば。実際、内田さんもその作業の困難さについて、次のように述べています。

彼女たちが「メディアを論じる」ためには、彼女たち自身に深々と血肉化している、ものの見方、感じ方、言葉のつかい方、美醜や適否の判断基準そのものを反省的に主題歌しなければならない。子どもの頃からメディア経由で大量に浴び続けてきたせいで彼女たち自身のうちにすでに内面化された「臆断」から身をふりほどかなければならない。その作業は場合によっては自分の皮膚を剥がすような痛みを伴うかもしれません。

しかしここを読んで気づかされるのは、「内面化された臆断から身をふりほどかねばならない」のは、学生さんだけではないということです。実際本書で展開される、キャリア教育論、メディア論、クレーマー論、読書論・読者論は非常に新鮮でした。新しい視点を獲得できた気がします。どこを読んでも「なるほど」の連続なので、膝が腫れ上がってしまったhappy01くらいです。特に病院や学校がメディアの攻撃対象にされやすい、ということの分析はにうなりました。

その他具体的な記述については、ぜひ本書をお読みいただくとして、私がもっとも心を打たれたのは、現代メディアが暴走する原因を指摘した次の一節です。

最終的な責任を引き受ける生身の個人がいない

組織ではなく個人として主張するなら、自ずと自制がかかる。どうしても言いたいことは、賛同を得るために意を尽くすから、暴走などしない」というのです。
これは、メディアに限らず、商品企画の世界でも同じだと思いました。「この商品は世の中のためになると自分は信じている」という思いで開発された商品は、必ず伝わるものです。強い意志を持った個人がいるかどうかが重要なのであって、組織の大小、広告費の多寡にはあまり関係しません。ですから、この「生身の個人がいるか」というポイントは、実はあらゆる製品やサービスに必要な、普遍的な要素なのです。そうした意味で、本書がキャリア教育の講義が端緒というのは頷けました。

現代人の必読書といっても過言ではない一冊です。

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コメント

おはようございます。
TBさせていただきました。
この本、私もいたく感激(?!)しながら読んだのですが、
あまりに自分が読みたいようにだけ読んでしまったような感触があり、ちょっと失敗したなと思っていただけに、いい振り返りをさせていただきました。
特に、うまく拾えていなかったところとして、組織に寄りかかった個の弱体化という視点。ある本で内田樹が、「誰に向けて言っているのかわからないようなどうでもいい正義の言説に何の力もない」といったことを言っていたことを思い出しました。
顔の見えない言説の垂れ流し、売れる言説の飽くなき追求、自分たちが作りだした鈍感な読者・視聴者に訴えるための極端の過剰演出・・・という悪循環が実感されます。

投稿: 時折 | 2010年9月14日 (火) 06時24分

時折さん、コメントありがとうございました。
内田さんの言説を読み解くキーワードは、他者ですよね。他者がいるからこそ価値が生じるという。だからこそ他に奉仕する生き方こそが大事なのだ、という説明は、私には結構ぐっときました。

投稿: むらちゃん | 2010年9月14日 (火) 08時23分

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