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2010年11月19日 (金)

赤めだか

「赤めだか」立川談春:著(扶桑社)

扶桑社の文芸誌に連載されていた頃から、落語ファンの間で評判だった本書。いつか買おうと思っているうちに、ずるずると2年が過ぎてしまいました。先日ようやく手に入れたところ、評判に違わず、読み出したら止まりません。一気に読んでしまいました。

話し言葉の達人は書くのも上手ということなのでしょうか。言葉を生業とする方だけあって、実に読ませるエッセイでした。最も秀逸と感じたのは、本書の構成。本の終末、落語で言う「さげ」が印象的なだけではありません。もともと「談春のセイシュン」と題された連載だった本書は、次のような、意外な、そして巧みな書き出しで始まります。

本当は競艇選手になりたかった。
家の近くに戸田競艇場があって、子供にくれるお菓子が楽しみで父親にせがんで日曜日になると連れていってもらった。競艇場で食べるチョコフレークは格段にうまく、僕にとってこの世で一番上等のお菓子だった。だからチョコフレークがビスコに替わったときには泣いて悔しがった。八十円の菓子ごときで泣き出す息子に親父はあきれ、しまいには怒りだし競艇場の売店であるだけのチョコフレークを買うと、「全部喰え。ひとつでも残したら許さん」と僕に渡した。

このちょっと笑えるエピソードからは、いろいろなことが読み取れます。小さい頃から落語好きではなかったこと、埼玉県出身であること、言いだしたら聞かない性格であること、お父さんは厳しく筋を通す性格であることなどです。出来事や言動だけの記述、しかもこれほど短い文章で性格や考え方を描いてしまう談春さんの筆力に驚きました。

本書に登場する、たくさんの個性あふれる人々は、すべてこんな感じで描かれています。その描く対象のうち、メインはなんといっても、師匠である立川談志。師匠は、談春さんが入門する前に、落語協会を飛び出していたために、談春さんたち弟子は、通常とはまったく異なる修行生活を送ることになります。本書の中心は、落語界で「前座」と呼ばれる、その修業時代の話。その修業時代を端的に表しているのが次の部分。

この世界は前座のうちは虫ケラ同然だ。個として認められる自由も権利も何ひとつとしてない。悔しきゃ一日も早く二ツ目になれ。そうすりゃ一人前としてあつかってやる。ましてや立川流は二ツ目になるための条件を明確にしてある。古典落語を五十席覚えろ、そのレベルの判断は家元である立川談志が下す。

この「虫ケラ扱い」ということと「基準が明確」という二つが、修業時代のさまざまな出来事の根底をなしています。その上で、肝心なときにやらかしてしまう大失敗、師匠からの理不尽な扱い、弟子同士の軋轢など、冷静に考えると結構悲惨な出来事が、淡々と語られます。抑えた筆致で語られることで、逆に談春さんの思いが浮かび上がってくるとともに、読者も同化できるのです。さすが、話し言葉のプロだと思いました。

本書の中で、相対的に描かれる分量が少ない、真打ち昇進のくだりについては、本書のクライマックスということもあり、本当に読ませます。談春さんの真打ち昇進試験は、師匠や友人、兄弟弟子を巻き込んだ大事件でした。それは、一歩間違えばそれまでの実績や名声を失うことはもちろん、落語界にいられなくなってしまうほどのことです。
それも、今日の談春さんの活躍を見れば、さもありなんと思いました。長い修行期間を経て、すでにそれだけの自信と気概を身につけていた、ということなのです。本書のタイトル「赤めだか」は、そのあたりの気分をうまく表現していると思いました。

赤めだか…これは、師匠がいつまでも大きくならない自宅の金魚を「こりゃあ、金魚じゃねえや、赤めだかだ」と言ったというエピソードに由来する言葉です。いつまでも成長しない魚。少なくとも師匠にそう思われている魚。それをタイトルにする談春さんの気持は、どんなものであったか──本書にはその答えが書いてあるのです。実にうまいタイトルだと思いました。

本書は、読んで爽やかな気持ちになれるだけでなく、人の生き方、人との関わり方について考えさせてくれる良書でした。落語に興味のある方はもちろん、興味のない方にもお勧めです。

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