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2010年12月26日 (日)

ケータイが変えたもの

Ketai約20年間に購入した「シュガータイム」、今は読売新聞の傘下となった中央公論社から出ていました。当時の価格は1000円。安かったなあと思います。世の中デフレで、いろんなものが20年前より値下がりしているのに、本や雑誌だけが順調に値上がりしているのは、なぜなんでしょう?(といいつつ、理由は分かってますが)

さて、それはともかく、「シュガータイム」を読んでいて、作品の価値とは別なところで気になったことがありました。

それは、作品中に登場するメディアについて。ケータイやパソコンの普及は、小説に影響を与えるのかと言う問題です。先日の記事では、恋人から手紙が届くシーンの描写を紹介しました。その一部を再度紹介します。

飾り気のない白い封筒が、ポストの底にひっそりと横たわっていた。(中略)なぜかすぐには封を切る気分になれず、しばら く掌にのせて重さや肌触りや切手の模様を確かめていた。外側から見るかぎりごくありふれた手紙だった。どこにでも売っている縦書きの細長い封筒で、真ん中 にわたしの名前が大きく書かれていた。丁寧でよそよそしい字だった。

いま、はがきでななく、個人から手紙をもらう事ってどれほどあるでしょうか? 少なくとも私は、届いた封筒にその人の存在を感じ、宛名の文字に意味を感じることなど、ここ十数年まったくありません。
この部分を読んで、中高生の頃、こうしたどきどきする手紙のやりとりをしたものだと思い出しました。一方でもはやこうした表現は、青春時代に文通やラブレターの経験がないと、実感しにくいのではないか、とも思いました。

この小説では、それ以外に、母親から電話をもらうシーンもありました。

母親からの電話は私を憂鬱にする。家からかかってくる電話は、なぜか受話器を取った瞬間にカリッ、カリッと雑音がするのである。
「ああ、あのねえ。母さんだけど」
彼女はいつも少し曇った声で、そんなふうに喋り始める。

母親と主人公の関係を示す、重要なシーンですが、これがもし、現代の小説だったとしたら、こうした描写はおそらく成立しないと思います。ケータイだと、かかってきた時点でそれが誰からのものかすぐに分かりますから、そもそも「電話に出ない」という選択肢がありえるからです。それと、この母親のセリフ。ケータイ時代の現代では、着信した時点でそれが誰からの電話かわかるわけですから、すぐに要件から話し始めることができます。まだこのように名乗る方もいるとは思いますが、それはあくまでも、相手側に表示されなかったときの名残。早晩消えゆく作法なのかなと思います。けれども、相手が話し始めるまで、誰からの電話であるか分からなかった時代だからこそ「なぜか受話器を取った瞬間に」という表現が意味を持ちますし、「ああ、あのねえ。母さんだけど」という言葉に、若干の不機嫌さや不安を読み取ることができます。
こうしてみると、言葉の共有というのは、結局経験の共有なのだなあとつくづく思いました。

それにしても、固定電話や手紙って、いろいろと面倒なことも多い一方で、コミュニケーションという側面で見てみると、なかなか味わい深いメディアでした。彼女の家に電話したとき、父親とおぼしき男の声に驚いて、反射的に電話を切った経験を持つ人は、少なくないのではないでしょうか。また、女性からの手紙に押し花が挟まっていたり、少量の香水がつけてあったりすると、とてもどきどきしたものです。

シュガータイム」を読みながら、今後どんなにインターネットが発達しても、「手紙も使える大人」でありたいものだと思いました。そして、小説もそういう感覚を描いて欲しいと思います。読者の感覚次第という部分もあるだけに、なかなか難しいとは思いますが。

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