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2011年1月19日 (水)

街場の大学論

「街場の大学論 ウチダ式教育再生」内田樹:著(角川文庫)

書店でウチダ先生の新刊、特に文庫が並んでいるのを見ると、つい手にとってしまいます。「こんなタイトルの本あったかな」と思って、「文庫版あとがき」を立ち読みすると、こんなことが書いてありました。

最初にまずご注意から。これは二〇〇七年に朝日新聞社から刊行された「狼少年のパラドクス」を文庫化したものです。文庫化するときにタイトルを変えてしまうというのは、読者の方に対してはたいへん迷惑なことで、「間違えて同じ本買っちゃったよ!」という方もおいでになるかも知れません。その方にはほんとうに申し訳ないと思います。すみません。

ううむ。「最初にまず」とありながら、書いてある場所があとがき…しかも重複購入に対する注意書きが、です。これってどうなのよ、と思いつつも、いずれにせよ未読なのだからいいや、と思って読むことにしました。結論から申しますと、「!!」が10%、「!」が30%、「…」が30%、「?」が20%、「??」が10%といった感想を持ちました。これまで読んできたウチダ先生の本と比較して、「!」の含有率が少ないことは事実ですが、それは読む価値が低いということを意味しません。位置づけが違うとでも申しましょうか、そんな印象なのです。

まず私にとって「!!」だったのは、「第8章 日比谷高校、東大全共闘の時代」と「第9章 一九六六年の日比谷高校生・吉田城と新井啓右の思い出」です。ウチダ先生の高校・大学時代の気分が語られています。研究発表の一環で出会って抱いた畏敬の念、同級生への劣等感から高校を中退したときの気持ち、全共闘時代に「活躍」した人への気持ち。これらが、ストレートに伝わってきました。
そして何より、「街場のメディア論」などでの中心主張、「生身の個人がいるかどうか」という考え方の基本が、この時期に形成されたのだと理解できたことが収穫でした。全共闘時代の思想が、今でも一定の光を放つのは、その毀誉褒貶を自分の問題として(ウチダ先生風に言うなら「身銭を切って」)引き受ける個人がいたから(いるから)である、というのは至言だと思いました。この時代の空気を、たとえ残滓であったとしても嗅いだことのある人間でないと分かりにくいような気もしますが。

一方「?」の部分は、大学評価に関わる部分で、ウチダ先生とは思えぬ言説を目にしたからです。たとえばこんな具合。

規格化・数値化を回避し続けて、「査定されない特権」に安住してきたせいで、大学教員のモラル・ハザードは進行している。だから査定は必要であるのだ。だが査定するだけでは大学という空間が持っているある種の「逃れの町」としての「開放性」は圧殺される。だから規格化の試練を経て、なお生き延びるだけのパワフルな「非規格性」は断固として擁護されなければならない。

数年前、私もまったく同じ考えであり、それをウチダ先生の本で否定されてショックを受けたものですから、ちょっと意外に感じました。しかしこの疑問も、「あとがき」を読むと氷解します。それぞれの記事に、執筆された日付が記載されている理由もよくわかりました。
それにしても、「今にして思えば、ちょっと間違っていた」と思える言説も、そのまま掲載するというのは重要だと思います。「考えが変わる」というのは、誰しもしばしば経験することである上に、それをトレースさせてもらえるのは非常に貴重な経験だからです。読者は、思考をショートカットできるわけですから。

最後に「??」の部分。これは、文庫版で追加されたという、文部科学省の杉野さんとの対談。正直言って、ひとつも面白くありませんでした。たとえば18歳人口が減るのが分かっているのに大学が増え続ける原因は、「省庁が規制しない流れになっているから」とおっしゃていますが、これはまったく正しくないでしょう。ウチダ先生の言われる「生身の個人としての発言」というのは、文科省の役人として実名登場すればよいというものではなく、全責任を引き受けるということではなかったのでしょうか? 全体に、担当官僚として「それを言っちゃあおしまいよ」というスタンスが感じられ、まるで楽しめませんでした。

いつも学ばせてもらっているのに、最後は偉そうな物言いですみませんでした。考えてみれば、これだけたくさんの「ウチダ先生本」が出ていて、それがすべて「目から鱗が落ちまくり」のはずがありません。そういうのは、きっと宗教の本でしょう。これまでのホームラン連発がむしろ異常だったのです。

本の読後感というのは、どうにも相対的なものなのだなあと実感した一冊でした。

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コメント

おはようございます。
大学人・内田樹の葛藤とその変遷に実に興味深いものを感じつつ、確かに、いつもの内田本の味わいとは違うなあという違和感もありました。
最後の「そういうのは、きっと宗教の本でしょう。」を拝見して、私など、やっぱりどこか「内田教信者」のようなところがあると感じて、少しヒヤリとしました。

投稿: 時折 | 2011年1月21日 (金) 06時33分

時折さん、コメントありがとうございました。
私もそうとう「信者」なのですが、この本によってかえって自分の「信者性」に気づかされた思いがいたします。
やはりいろいろと読んでみるものですね。

投稿: むらちゃん | 2011年1月21日 (金) 07時51分

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