« 日経サイエンス(2011年4月号) | トップページ | 学級通信のアイデア40 »

2011年3月 9日 (水)

天使の卵

「天使の卵──エンジェルズ・エッグ」村山由佳:著(集英社文庫)

ひさびさに小説、しかもこれまでまったく読んだことのない作家の作品を読んでみようと思い立ちました。春は出会いの季節。このところ、新しい人に出会い、新しい仕事が生まれる予感がしているせいかもしれません。

そんなことを考えながら、書店の文庫本売場をうろうろしていたとき、本書を見つけました。「第6回「小説すばる」新人賞受賞作」と書いてある上に、解説は村上龍さん。しかもなんとなく高評価です。「これは読まねばなるまい」ということで購入しました。

そのひとの横顔はあまりにも清洌で、凛としたたたずまいに満ちていた。19歳の予備校生の“僕”は、8歳年上の精神科医にひと目惚れ。高校時代のガールフレンド夏姫に後ろめたい気持はあったが、“僕”の心はもう誰にも止められない―。第6回「小説すばる」新人賞受賞作品。みずみずしい感性で描かれた純愛小説として選考委員も絶賛した大型新人のデビュー作。

「僕」と精神科医の出会いは、満員電車の中。「満員電車での出会いなんて、ありきたりだなあ」などと思われる方もいらっしゃるかも知れません。実際本作は、そういうところを狙った節があります。巻末の解説で、村上さんが、「小説すばる新人賞」の選考委員である、五木寛之さんの言葉を引用されています。

よくこれだけ凡庸さに徹することができると感嘆させられるほどだが、ひょっとすると、そこがこの作家の或る才能かも知れないのだ

これを受けて、村上さんの解説が次のように続きます。

「天使の卵」は、極めて古風な構造の物語を利用していて、そのために登場人物達も累計にとどまっているかのような印象を受ける。「天使の卵」の登場人物達はみなそれぞれに傷を負っているが、その傷の負い方にしても五木氏の私的通り凡庸である。驚くほど、凡庸だ。凡庸というのは、新しさに欠ける、ということでもある。
ただ、人間はそれほど変化してしまうものだろうか?
(中略)作者は、この国の「新しい文化」などというものがすべてファッションにすぎないとわかって、あえて古風な物語の構造を選んだのではないだろうか。

長い引用ですみません。なんだか僭越なのですけれど、私の感想も村上さんが書かれたこの部分の感想と同じでした。ストーリー的には何ひとつ新しいものはないのだけれど、ディテールの描写にきらりと光るものがあり、物語の立体感と申しますか、臨場感が伝わってきたのです。それゆえ、たとえば満員電車の中の様子も、まるで映画を見ているかのように伝わってきました。本作は、そうしたディテールが楽しめる人にはお勧めの小説ということができるでしょう。
それと、村上さんが評価していたラストの場面、私自身はちょっと「?」でした。この部分の納得感については議論があるのではないかと思います。それも含めて本書の魅力ということができるでしょう。

それから話題はそれますが、村上さんの解説の中で、次のフレーズが気に入りました。小説や文学について考える、一つのヒントになるのではないでしょうか。

小説というのはテキストのない翻訳だと私は考えている。創造や表現というより、翻訳に近いと思う。形の見えない自己の狂気を翻訳しようとする作家もいるし、言葉を発することなく死んでいった肉親や仲間の肉声を翻訳しようとする作家もいるが、基本的には、言葉を失わせる何かについて作家は翻訳を試みる。
つまり、失われた言葉を再生させる試みが文学なのだと思う。

|

« 日経サイエンス(2011年4月号) | トップページ | 学級通信のアイデア40 »

小説・文学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29188/50981308

この記事へのトラックバック一覧です: 天使の卵:

« 日経サイエンス(2011年4月号) | トップページ | 学級通信のアイデア40 »