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2011年3月25日 (金)

ことばを運ぶもの

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今回16年前の国語教育相談室[臨時号]を読み直してみて、当時には考えもしなかった、「言葉とそれを記載するメディア」ということについて考えさせられました。それは、この資料に記載された、作家、学者、画家のことばやイラストが、B3二つ折りという新聞形式だったからこそ伝わった部分があったのではないだろうか、ということです。

ここに記載されたメッセージがもし、iPadなどの電子デバイスに届けられたとしたら、メールやTwitterで電子送信されたとしたらどうだったでしょうか。

現在教育界では、教科書をデジタル化するという話が盛んです。この話は、昨年の夏くらいから急速に高まりました。諸外国の動き、学力向上への取り組み、教科書の印刷費や流通費の削減など、理由は様々と思われます。いずれにしろ、もし実施されたとしたら、教育界にとってかつてない衝撃の変化です。
私自身、この大災害を経験するまでは、どちらかといえば教科書のデジタル化に賛成でした。どんどん重くなるランドセルが軽量化できますし、視覚障害の子どもたちも同じ教科書が使えます。参照するだけでなく、ノート代わりになるかも知れませんし、発言補助装置になるかもしれません。様々な可能性が広がる、高効率で高機能なものは、学校でもきっと役立つはずだと信じて疑いませんでした。紙の教科書はなくなり行くもの、という認識さえ持っていました。

けれども本当に、そうした電子デバイスは紙の書籍の代用になり得るのでしょうか。置き換え可能な装置なのでしょうか。

  1. 確かに紙の温かみは重要。同じ言葉でも紙だからこそ伝わる中身がある
  2. 言葉は言葉、それが何に書かれようと意味は同じ

どちらも一理ある考え方です。そもそも主観的なものですし、答えが出るものでもありません。ただ、教科書のデジタル化を考えるときに、そこに載せられる言葉との関係で考えていただきたいと思っています。

現在議論されている「学習者用デジタル教科書」というのは、結局のところ「次世代学校用学習机」のことなのではないか、と思い始めています。

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