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2011年4月 1日 (金)

小学五年生

「小学五年生」重松清:著(文春文庫)

重松さんの本は、結構好きでよく読んでいます。このブログでも以前「くちぶえ番長」「青い鳥」を紹介させていただきました。いつも思うことは、どうしてこんなに少年時代の気持ちを思い起こさせてくれるのだろうかということです。いや、実際に小学生だったときにこんなことを考えていたのかどうかは定かではありません。それでも確実に少年の気持ちに引き戻してくれます。

本書には、そうした短編が17編収録されています。クラスメイトの突然の転校、近しい人との死別、親や大人との関わり、異性へ寄せるほのかな思いなどなど、本当に多様なお話しが収録されています。この中で私が特に気に入ったのは、「バスに乗って」と「どきどき」の2編です。

「バスに乗って」は、長期入院を余儀なくされたお母さんを持つ少年と、バスの運転手の心の交流を描いたお話しです。前半のあらすじをご紹介します。

少年は、お母さんのお見舞いに通うためバスに乗る。初めて一人で乗ったとき、ぶっきらぼうな運転手「河野」に叱られる。しかもその後も、何度もその彼が運転するバスに乗る羽目に。ある日、何度目かの回数券を購入したとき、「通うんだったら、定期券の方が安いぞ」と言われる。「そんなのわかってる!」と少年は思う。

バスに独りで乗る不安と、お母さんの入院がどんどん長引く不安。その二つの不安がないまぜになって、どんどん高まっていく様子が見事に描かれていました。そして三冊目の回数券が最後の1枚になったとき、物語は一気にクライマックスへと突入します。

 バスが停まる。運賃箱の前まで来ると、運転手が河野さんだと気づいた。それでまた、悲しみがつのった。こんなひとに最後の回数券を渡したくない。
 整理券を運賃箱に先に入れ、回数券をつづけて入れようとしたとき、とうとう泣き声が出てしまった。
「どうした?」と河野さんが訊いた。「なんで泣いているの?」──ぶっきらぼうではない言い方をされたのは初めてだったから、逆に涙が止まらなくなってしまった。
「財布、落としちゃったのか?」
泣きじゃくりながらかぶりを振って、回数券を見せた。
じゃあ早く入れなさい──とは、言われなかった。
河野さんは「どうした?」ともう一度訊いた。
 その声にすうっと手を引かれるように、少年は嗚咽交じりに、回数券を使いたくないんだと伝えた。母のこともしゃべった。新しい回数券を買うと、そのぶん、母の退院の日が遠ざかってしまう。ごめんなさい、ごめんなさい、と手の甲で目元を覆った。警察に捕まってもいいから、この回数券、ぼくにください、と言った。

その後運転手がどうしたかは、ぜひ本書をお読みいただくとして、この部分、少年の気持ちが見事に現れていると思いませんか。回数券という「物」に過剰に思い入れをしてしまう気持ちは、思い当たる部分がずいぶんあります。そしてこうした少年の思いを描く装置として、バスの運転手を登場させたことはとても効果的だと思いました。おかげで、最後にとても素敵なラストを迎えます。

もう一つ「どきどき」は、バレンタインデーを迎える少年の気持ちを描いた作品です。バレンタインデーをものすごく意識しているのに、意識したくないと思っている自分もいて、もやもやしている少年が描かれていました。その微妙な部分を描いているのが次の部分。

二月に入ると、女子のおしゃべりの声に「バレンタイン」や「チョコレート」という言葉が混じるようになった。盗み聞きしたわけではなくても、聞こえてしまう。そういう言葉を自然と聞き分けてしまうのは、なんだかものすごく恥ずかしいことのようにも、思う。

「おれは聞きたくないのに、耳が聞いちゃうんだよ」若かりしころ、何度思ったか知れません。そうした気分を実に見事に描いているなと思いました。

本書では他にも印象的な表現が満載です。忙しい毎日。少年の気持ちに戻りたくなったら、ぜひお勧めしたい一冊です。

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コメント

はじめまして。
ここのブログを読ましていただきました。

僕も本の感想なんかを書きますが、ここまで「読んでみたいな~」と思わせる文章を書くのはなかなか難しいと思います。

ホントに凄いなぁって思いました。

ぜひ機会があれば「小学五年生」読んでみたいと思います。

投稿: hiro | 2011年4月 1日 (金) 11時32分

hiroさん、コメントありがとうございました。私の拙い文章で、本書を読んでみたいと思っていただけたとのこと、とてもうれしく思います。
これからもご感想を寄せていただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。

投稿: むらちゃん | 2011年4月 1日 (金) 14時40分

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