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2013年4月 1日 (月)

粗にして野だが卑ではない

「粗にして野だが卑ではない石田礼助の生涯」城山三郎著(文春文庫)

本書が文藝春秋社から刊行されたのは、昭和63年(1988年)。まさにバブルが絶頂を迎えようとしていた時期です。当時本書のタイトルは、そのリズムの良さもあり、ビジネス界ではやや流行したように記憶しています。しかし、時代の風潮は「額に汗するのは愚。株や証券を買えばだれでも儲かる」というものでした。

本書で城山さんが描いた、石田礼助さんは、そうしたバブル期の考え方の対極にあるような方で、「パブリック・サービス」を重視し、実践した人です。

冒頭城山さんは、石田さんの葬儀の描写から書き出しています。ちょっと長いですが引用してみます。

 第五代国鉄総裁石田礼助の葬儀は、故人の遺志通りのきわめて簡素なものであった。式は国府津の自宅で行われたが、かつて顕職に在り、数え九十三歳の天寿を全うした人を送るにしては、地元以外の参列者の数は意外に少なかった。
 石田は三井物産に三十五年在職。華々しい業績を上げて、戦前の同社の組織では最高の代表取締役までつとめた身だが、その古巣である三井物産を代表しての会葬者は、わずか三人にすぎなかった。
 それというのも、同社関係者はせいぜい三人とするよう、故人の強い意向が伝えられていたためである。

冒頭の8行に過ぎないこの文章は、その短さとは裏腹に本書の要約といってもよいくらい、石田さんの生涯と人となりを表しています。三井物産に勤め社長になったこと、国鉄総裁であったこと、そして華美や虚飾を嫌う人物であったことが凝縮された表現です。私は、恥ずかしながら本書を読むまでこの石田さんという方を存じませんでしたが、この書き出しのおかげで、どんな人物なのかがすっと理解できましたし、同時にこの方の生涯に非常に興味を持つことができました。真に見事な書き出しと言わざるを得ません。

この序章を始めとして城山さんは、国鉄総裁としての石田さんを中心にその生涯を描いています。当時の国鉄は、労働運動は苛烈を極めており、しかも歴代総裁は大規模な事故の責任を取って辞任する中、財界人(国鉄出身者以外)として初めて就任したのが石田さんです。まさに「火中の栗を拾う」状態だったのだと思います。

それは石田さん自身が、人生で一定の仕事をなしたならその後は世間に奉仕すること、つまり「パブリック・サービス」をしなければならないと考えていたから、と城山さんは書きます。「パブリック・サービス」というのは、石田さん自身がよく口にしていた言葉だそうで、三井物産時代、海外支店で活躍した石田さんならではの表現なのでしょう。本書では、他にも石田さんが生前よく口にした英語のフレーズが効果的に使われています。

  • マンキー
  • ヤング・ソルジャー
  • パスポート・フォア・ヘブン
  • ブレイン・ファーマー

これらがどんな意味で使われているかは、ぜひ本書をお読みください。それにしても、石田さんの口癖を丹念に調べ、それを軸にして人物伝をまとめる城山さんの筆力は本当にすばらしいの一言です。文庫版の解説で、評論家の佐高さんが「この作品で城山は石田と一つ呼吸をしている」と表していますが、まさにそんな感じがします。

作品の終わりは、青函連絡船の出航の様子を描いています。石田さんが安全対策のため、総裁就任後真っ先に購入した連絡船です。非常に印象的な一文なので引用します。

絵になる人生を歩んだ人が、いま連絡船という絵になって、海を走っていた

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