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2016年5月 4日 (水)

アクティブラーニング時代の教師像

「アクティブ・ラーニング時代の教師像: 「さきがけ」と「しんがり」の教育論 」堀裕嗣・金大竜:往復書簡(小学館)

 「どんな教師になりたいのか」ということは、職業として教師を選んだ方なら、だれしも1度は考えたことのある問いでしょう。これは、おそらくは、答えの出ない問いです。答えを出しても意味のない問いとでも申しましょうか。
 本書は、堀先生と金先生という、10歳ほど年の離れた二人の教師の往復書簡をメインに構成されています。往復書簡のテーマはまさに教師のあり方。手紙のやりとりの中で、金先生の考えは大きく揺れます。そしてこの揺れこそが、本書の価値です。

 往復書簡は、約4か月にわたったと帯には書いてありました。それはおそらく事実でしょう。特に金先生の手紙からは、堀先生への返答に苦しんだ様子がうかがえます。しかし、問いのない答えを真剣に考えれば苦しいのは当たり前です。読者は、金先生の苦しみを共有しながらも、自分ならどう応えるだろうかと考えることになるでしょう。

 とはいえ本書は、堀先生が上に立って金先生を指導するといった単純な構図の本ではありません。堀先生も、金先生の紡ぎ出す言葉によって触発されています。これも重要なところ。そしてこのやりとりこそが、これからの「教師-生徒」のモデルになるのではないか――本書は、全体としてそんな提案になっているようにも見えました。
 二人のやりとりを読みながら、加藤典洋さんが「村上春樹は難しい」(岩波新書)の中で、村上文学を「豊かな時代の文学」と喝破していたことを思い出しました。日本が貧しかった時代をぎりぎり知っている堀先生の世代と、それを体感していない金先生の世代では、教師観が違って当たり前。対談後半でやりとりされる文学論のあたりに、そんなことをちらっと思いました。

 ただ、残念なのは本書のタイトルと表紙デザインです。本書のやりとりは、「アクティブラーニング時代の教師像」という言葉でまとめてしまってよいものでしょうか。表紙のイラストから、二人のすぐれた教師が、本音で語り合ったイメージが湧くでしょうか。
 さらに問題なのが帯の文言。「消える教師と残る教師」確かに後半に収録された対談にもある文言ではありますが、これでは、「勉強してないヤツは生き残れないぞ」と脅しているような印象を与えてしまいます。ただでさえ、フォトジェニックとは言えないお二人(笑)のイラストに、この文言がついていたら、脅迫にしか見えません。

 その点が実に残念に思いました。あと、ぼくが編集者なら、後半の対談は実施せず、別のことを行ったと思います。
 往復書簡の部分は、職業人として一皮むけたいと思っている先生には、お勧めします。非常に参考になるやりとりであるはずですから。

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